2017-08-29

カラーシャの素朴な谷、ルンブール【パキスタン】

今日も、天気は快晴。
チトラール地方は晴天率が高いのが、旅行者にとっては有難い。


今日は、ブンブレット谷を後にして、ルンブール谷へ向かう。
一緒にジープをシェアしていたタカさんは
ブンブレットに滞在してゆっくり子どもたちの写真を撮りたいとのことだったので
私とガイド兼ドライバーのイムランと、二人でルンブールの谷へ。


村を出るとき、谷の長老らしき人と子どもたちが集まっているところを通りかかった。
その長老は私に、カラーシャ語でお祈りのような言葉をあげてくれた。
何て言っていたのかはわからないけど
キラキラ輝く太陽の下で、美しい緑と人々に囲まれて
その場にいたみんなが笑顔で送り出してくれて
なんだかすごく嬉しくて、またしても感極まって泣いてしまった。


本当にここは、なぜだか懐かしい感じがする場所。


2017-08-27

世界一可愛い?民族の谷カラーシャ【パキスタン】

チトラールへ来た目的は、カラーシャ谷を訪れること。
チトラールは、カラーシャ谷訪問の拠点となる街なのだ。


カラーシャ谷は、チトラール南西部に位置する
ルンブール谷、ブンブレット谷、ビリール谷の3つの谷からなっていて
半農半牧を営む「カラーシャ」という少数民族が住んでいる谷。

イスラム教一色に塗りつぶされているこの地域にありながら
カラーシャは独自の多神教を信仰しているために
「異教徒(カーフィル)」と呼ばれているらしい。
独自の言語である「カラーシャ語」を話す。
チトラール同様、英語はあまり伝わらない。


谷のあちこちに神々の祭壇や聖域があり、
四季折々にさまざまな祭りや儀礼を行う民族。


2017-08-26

真夜中のドライブ【パキスタン】

ローカルバスの車内で流れていた、チトラール音楽。


夜の8時。
ローカルバスに乗り、ペシャワールを出発。

チトラールまでは、途中悪路の続くロワライ峠(3720m)を超えて
約12〜13時間のハードな移動となる。


2017-08-21

パキスタンの走る芸術、デコトラ【パキスタン・ペシャワール】

今日の夜には、ペシャワールからチトラールヘと向かいたい。


お昼前にmazeban hotelをチェックアウト。
荷物だけそのまま置かせてもらうことにした。


チトラールへ行く前に
私はペシャワールで行っておきたい場所があった。


なんでもここペシャワールでは
私も大好きなパキスタン名物
デコトラ(デコレーショントラック)の製造工場があるらしいのだ。


2017-08-20

ペシャワールで過ごす独立記念日【パキスタン】

今日、8月14日は独立記念日。
パキスタンがインドから分離独立を果たした日。

数日前から、「もうすぐ独立記念日だよ」
と嬉しそうに話すパキスタン人にたくさん会ってきた。
そして、バザールのあちこちで
フラッグやお祭り道具が売られているのを見た。


時計が0時を回るころ、深夜の街はお祭り騒ぎ。
こういう時はおとなしていた方が安全だろうと考え
私たちはホテルでゆっくり過ごすことにした。


アフガンにほど近い街へ【パキスタン・ペシャワール】



ラーワルピンディからペシャワールへの移動は
パキ人が「パキスタンNo.1のバスだ!」
と口を揃えていう韓国系バス会社のDAEWOO EXPRESSで2時間。
軽食付きの快適なバスで向かった。


2017-08-17

ラーワルピンディで待ち合わせ【パキスタン】




朝のフライトで、カラチからイスラマバードへと飛んだ。


今日は、ラーワルピンディーで
日本人旅行者と待ち合わせの日。


2017-08-16

カラチで思うこと【パキスタン】

宿のチェックアウトを済ませ
前日に予約していたDAEWOO EXPRESSのバスターミナルへ。
警護ポリスのアミールが、最後まで送り届けてくれた。


出来ることなら延泊したかった、ハイダラバード。
だけど、翌日カラチからのフライトを控えていたことや、
イスラマバードでの約束もあったため
残念だけれどカラチへと戻ることにした。


2017-08-13

アジュラックを訪ねて【パキスタン・シンド州ハイダラバード】

今日は、カラチの東180kmにある、
イスラム支配以前からの古い街、ハイダラバードへ。


カラチからハイダラバードへは、バスで3〜4時間ほど。
朝の8時頃に出発し、到着したのはお昼前。
ガタガタの道が続いて酔ってしまい、少しハードな移動だった。


2017-08-11

カラチに来た理由【パキスタン】

私がカラチに来た目的は

シンド州の伝統工芸であるアジュラック布を買い付け
あわよくばアジュラックの工房を訪ねること、
そして、3月にフンザで出会い仲良くなった
カラチの若者たちと再会することだった。
若者と出会った時の記事は→こちら



この日のミッションは、
カラチでアジュラック布を探すこと、
そして、その友達に会うこと。





まず、カラチのClifton block9というエリア
the FOLUMというビルに入っているショッピングセンターへ。
ここに、アジュラック布を取り扱う店があるとの情報を得ていた。

宿のあるサダル地区から距離は8kmほど。
オートリキシャーで片道250ルピー。
外国人だからぼられているのだろうか。
思っていたよりも移動にいちいちお金がかかる。


探し求めていたアジュラック布は
ショッピングセンター内のお土産屋さんにあった。




パキスタン国内のさまざまな工芸品を扱うお店。

個人的には、このクッサ(パキスタン女性の靴)のキーホルダーが可愛くてツボでした◎






アジュラック布は、
パキスタンのシンド州、インドのカッチ地方の両方にまたがって
古来より伝えられて来た布。
パキスタンのアジュラックは
インドのアジュラックとは雰囲気が異なり
色は藍と茜がほとんど。
柄もまた違いがあり
一枚の布にイスラミックな文様が様々に描かれていてとても素敵。

アジュラックについて詳しくは、次の記事で…


今回はこのアジュラック布で、
カミーズ(シャツ)を仕立ててもらうことにした。
受け取りはこの2日後で、
実際に受け取ったカミーズはこんな感じ。




“最新の流行デザイン” とのこと。

ジーパンやストールと合わせたら絶対可愛い◎
つくりもしっかりしていて、日本でも普通に着れそうで嬉しい。




the FOLUMのお隣には
Aashiyana shopping centerという布専門のショッピングモールがあったので、
こちらにもちょこっと寄り道してみる。






モール内には、布、シャルワールカミーズ、ショールを扱うお店が
数え切れないほど入っていて、迷路のよう。
ギルギットやフンザとは比べものにならない布の量。

ここ、天国じゃん。
と、思わず呟いてしまう。

店員さんはみんな
「ジー、ジー」と言って手招きしてくれる。
たぶん、「お客さん、いらっしゃい」みたいな意味かな。







超フレンドリーでハイテンション!
笑顔が素敵だったお兄さんと。

「日本に帰ったら、この写真をばらまいてくれよ」とのこと。笑




アジュラック布も手に入り、
おまけに素敵な布市場に辿り着けた。

本日一つめのミッション完了◎




フンザで出会った友達とは、夜会う約束をしていた。
それまで少し時間があったので
翌日行く予定のハイデラバード行きバス乗り場を探すため
サダルの街中へと繰り出す。




カラチは交通量がすごくて
もちろん信号などない場所がほとんどなので
どこへ行ってもクラクションが鳴り響き
いたるところで大渋滞を起こしている。
大通りを渡りたくても、渡るスキがない。

他の国で、交通量の多い道路を横切る技術は
鍛えられて来たはずなんだけどな。笑

そんな道路を、いとも簡単に横切ってゆくパキスタン人を見習い
私も無理やり車を止めながら、
バイクやバスなどの隙間をなんとか進んでゆく。


そんなこんなで、カラチはちょこっと街を歩くだけで大冒険。

たくさんの人の視線を感じつつ
「チャイニーズ?」と声をかけまくられつつ

なんとか、アガカーンロードのバス停に到着。


ハイデラバード行きのバスは数十分ごとに何本も出ているらしく
予約しなくても行けばすぐに乗れる、ということが確認でき、一安心。



またホテルに向かって歩き出そうとしたら
なんと、アジュラックの布を纏った人を、カラチの街中で発見!




嬉しさで思わず
「これ、アジュラックですよね?すごく素敵!」
というと、
このおじさまはニコッと笑い
「君にあげる!」
と、なんとこのアジュラック布をプレゼントしてくれた。


周りにいる人たちもわらわらと集まって来て
「アジュラック知ってるんだ〜」と喜んでくれていた。



おじさまにお礼を言って、手を振ってお別れ。

またホテルへと戻る。




夜の8時半。

カラチのお友達たちは、それぞれ仕事があって忙しい中
時間を作ってみんなでホテルに迎えに来てくれた。


近くのモールに行き、みんなでディナー。




国が違っても、同年代の子たちと過ごす時間はやっぱり楽しい。
お互いに知りたいこと、興味のあることが沢山あって、話は尽きない。


ただ、彼らは流暢な英語を使いわかりやすく話してくれるのだけど
私の方はというと、やっぱりなかなか英語でスムーズに言葉が出てこない。
言いたいことの半分も言えない。

聞きたいことが沢山あるのに、
日本についてももっと知ってもらいたいことが沢山あるのに
うまく言葉にできないことが歯がゆかった。


こうやって海外で悔しい思いをする度に
“日本に帰ったら、英語ちゃんと勉強しよう”と思うのに
結局大して勉強せず、同じことを繰り返している自分。

残念すぎる…

でも彼らは一生懸命私の拙い英語を聞いてくれて
沢山たくさん話しかけて楽しませてくれて、自分たちも楽しんでくれて

「会えて一緒に過ごせて本当に素晴らしい時間だった」
「ユキが一生懸命話そうとしている姿が好き」
「もし次またカラチに来たら、今度はもっと色々な場所に行きましょう」
「ユキのことずっと忘れないよ〜!」
「いつか私たちも日本に遊びに行くからね!」
「パキスタンで困ったことがあったらいつでも連絡して」

と、温かい言葉をかけてくれる…。

“ありがとう”って何回も何回も言ってたら
「ありがとうって言わないで。
友達だから、当たり前のことをしているだけなのだから。」と。



…なんだか書いてて泣きそうになって来ました。笑




そして、「ユキがカラチに来てくれたから」と
アンティークのアクセサリー、パキスタン国旗のバッジ、
アジュラックの布など、それぞれプレゼントまで。


私も、日本からお土産持ってくればよかった。
なんで忘れちゃったんだろ…と、ちょっと後悔。



みんなの「おもてなしの精神」「友達を想う気持ち」が素晴らしすぎて…


今日もまた、最高にハッピーな気持ちになれました。



みんなのしてくれたこと、忘れないよ。。

私も、みんなが与えてくれた幸せを
自分も誰かに与えることで、恩を返して行こう。。



また会いましょう。インシャアッラー。。




Y.

2017.8.9
Karachi PAKISTAN





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2017-08-09

カラチファミリーと過ごした日【パキスタン】

カラチのジンナー国際空港は
イスラマバードのそれよりずっと近代化されていて
綺麗で快適な空港だった。

歩くエスカレーターを見たときは、少し驚いた。




何はともあれ、
パキスタン最大の都市、カラチに到着。





昨日同じホテルに宿泊していて、
フライトも同じだった、パキスタン人のソーハ。
彼女はカラチから車を3〜5時間走らせたところにある
ハイデラバードという町の出身。

「家族が車で空港に迎えに来てくれてるの。
よし良ければ、あなたのホテルまで一緒に送り届けるわ。」
と、言ってくれた。

ハイデラバードとは方向が違くて遠回りになってしまう、
申し訳ないよ。と返すと、

「気にしないで、あなたはカラチに来てくれたゲストだから。
誰だってそうすると思うわ。」
そう快く答えてくれたので、お言葉に甘えさせていただくことに。


空港の外に出ると、
彼女の両親と兄弟、いとこもみんな、
笑顔で迎えてくれた。

突然のことで、見ず知らずの外国人であるにもかかわらず
みんな私と会えたことをすごく喜んでくれた。

「良ければ、みんなで一緒にランチしない?
それに、カラチに住んでいる私たちのいとこ家族にも、
あなたのことを紹介したい」
と言ってくれて、まずはいとこの家にお邪魔させていただくことになった。


“突然訪問したら、嫌じゃないかな・・”
と、少し心配していたのだけど
すぐに、取り越し苦労だったのだとわかった。

美味しいお茶をいただき、
それから、質問の嵐。
「なぜパキスタンへ?君ひとりで?」
「兄弟はいるの?何人家族?」
「日本では何の仕事をしているの?」
とお決まりの質問から、
日本の文化のことまで、たくさん話した。

家族やいとこみんなに囲まれて
最初はちょっと戸惑ってしまったのだけど
みんなキラキラした目でこっちを見て
フレンドリーに話しかけてくれたり
私がちょこっとウルドゥー語を話すと
ケタケタ笑って大喜びしてくれたり。
そんな中にいたら、いつのまにかこちらも笑顔になり
すっかり打ち解けている自分がいた。


そして、記念撮影。



「うちに泊まって行って」
そう言ってくれた、いとこ家族。


さすがに断ったけれど、とても嬉しかったな。



いとこ家族とお別れをし、
カラチ中心部に向かって車を走らせていると
立派な霊廟の前を通りかかった。
“カラチでとても有名な観光スポットだから”
と、連れて行ってくれると言う。





ここは、
パキスタン建国の父で初代総督
パキスタン紙幣にも描かれている、
ムハンマド・アリ・ジンナーの霊廟。


古典的なイスラム建築様式と現代的なデザインで造られた、
大きな大理石製のドーム。




ドーム内には、銃を持った数人の兵士がいる。

たくさんのパキスタン人に見守られて
ジンナーさんは中央の棺のなかに眠っていた。



ドーム内や、お隣のジンナー博物館では
ソーハや彼女の兄弟たちが、
一生懸命になって英語でガイドしてくれた。

「楽しんでる?」と常に気にかけてくれる。
みんな、なんて優しい子たちなんだろう・・。



廟のまわりは公園のようになっていて、
カラチの人々の憩いの場にもなっているようで
みんなそれぞれに、穏やかに過ごしている様子だった。





ジンナーさんのお墓を後にし
みんなで遅めのランチをとった。
お金を払おうとしても、
「君は私たちの家族のようなものだから」
と言われ、受け取ってもらえなかった。
その上、このあと数時間かけて自分たちはハイデラバードに帰らなければならないのに
「他にどこか行きたい場所はない?連れて行ってあげるよ」
と。
さすがに申し訳ないので、お断りをさせていただいた。
そして、ホテルへと向かう。


ソーハ家族はカラチ市内には詳しくなく、
私が行こうとしている名の知れぬホテルに辿り着くなど、
容易なことではなく。
私のマップアプリを見てあーでもないこーでもないと
いっぱい議論してくれて
あちこち彷徨い近くまで来たのだけど、
結局たどり着かず。
このあたりの地理に詳しい地元のタクシーを拾うことになった。


タクシーを拾うのも交渉も
みんな家族がやってくれた。
最後に、私が一人で旅をしても困らないように、
タクシーなどお金を払う時の交渉の仕方や
旅行をする上で気をつけるべきことなど
色々とレクチャーもしてくれた。笑


「あなたはもう、私たちの家族同然だからね」と、ソーハ。
ママは、ウルドゥー語で「私の可愛い娘」と言ってくれた。


本当に本当に、
暖かい家族に出会えて、涙が出るよ。。


ありがとう、本当に。。





もしも自分だったら
突然やって来た見ず知らずの外国人に
こんなに親切にできただろうか・・

「家族を大切に、お客様を大切に」
これは、イスラム教の教えでもあるみたいなんだけど
パキスタンの人たちって本当に、
「もうほっといて!」と思うくらい超ミラクル親切。笑


家族を大切に
友人を大切に
お客様を大切に

暖かく人情溢れる人たちの国、パキスタン。

そんなパキスタンの人たちが大好きだから
私はまた、ここに戻って来たんだろうな。



私も日本に帰った時に何か困っていそうな人を見つけたら
その時は、絶対に助けてあげたい。


ソーハのパパが、
「息子(ソーハの弟)を、3年後に日本に留学させたいと考えてるんだ。」
と言っていた。
もしも本当に留学することになったら、
その時は、彼らが私に親切にしてくれたように
私も彼を全力でサポートしてあげたいな。





パキスタン南部は、北部以上に外国人が少ない。
歩いていると、やっぱり目立ってしまい、
これほど注目されたことが今までにあったかな?
と思うほどに、好奇の目で見られる。


それでも、信頼できる家族と一緒にいたことで
不安になったり、不快な思いをすることなく
始終安心して過ごすことができた。



素敵な家族に出会い、その温かみに触れ、
最高にハッピーな1日だった。







Y.

2017.8.8
Karachi PAKISTAN






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ただいま、パキスタン。


飛行機を降りた瞬間むわんと熱気のある風が頬に当たるのを感じた。


この独特の香りと肌の感覚。
4ヶ月ぶりに戻ってきた、パキスタン。




異国に一歩足を踏み入れると、
あらゆるものが新鮮で、刺激的で、
一瞬にして身体中の細胞という細胞が活性化されてゆく感じ。

喜怒哀楽という言葉にはとてもおさまらないほど
感情の嵐が次々とやってくるのが旅の日常。


この感覚がたまらなく好きだから
きっと私は旅がやめられないのだろう。




世の中には、2種類の人間がいると思ってる。


旅に出なくても、日常を過ごせる定住型の人。
旅に出ないと、日常を過ごせない移動型の人。


私は、どう考えても後者で。


ひとところに深く根を張って
穏やかで暖かな
定住の生き方に強い憧れを持っているのに

どうしたって逆らえない。


前世は遊牧民だったのではないかと、
(きっと、パキスタンかアフガニスタンあたり)
本気で思う。



ならばとことん、進んでみるのも悪くないのかもしれない。





2度目の訪問である今回。
4ヶ月前に見た同じ景色であるはずなのだけど、
見え方は前よりずいぶんと変わっている。
今回はかなりリラックス出来ている気がする。


明日、カラチへのフライトがあるので
またPIA(パキスタン航空)にホテルを無料でアレンジしてもらった。
その手続きで並んでいるときも、
私が何か頼んだわけではないのだけど
「何を待ってるの?困ってることない?」
と世話を焼いてくれるパキ人がたくさん居て
その温かさにさっそく触れられて幸せな気持ち。


今回のホテルは、イスラマバードのブルーエリア、
Envoy continental hotel という場所。
外見も内装もとても綺麗で部屋の設備やサービスも素晴らしく
クーラーのききが抜群に良いのも嬉しい。
夕食、朝食、空港への送迎をつけても無料なので本当に有難い。
パキスタン航空さまさまですね。




ホテルについて詳しくは、後でまとめ記事を書こうと思ってます!



Y.

2017.8.7
Islamabad PAKISTAN





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2017-08-07

搭乗待ちのゲートにて。

出発の日。
空港に来ると必ず、これから訪ねる国に想いを巡らせ
期待を膨らませている自分がいる。


だけど今回は、期待と不安が入り混じって、少し複雑。
それでも、前回のパキスタンのときよりは
だいぶリラックスできているな、と感じているのも事実。


シャルワールカミーズやニカブを纏ったパキスタン人の中にいると
少し懐かしいような、不思議と安堵感さえ感じてしまう。



素敵な旅が始まる予感。



Y.

2017.8.7
成田空港 98番ゲートのベンチにて。







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泥に咲く花。

私のなかでは長い間、
夏の花といえば、ひまわり!
だったのだけれど、、

最近は、ひまわりと同じくらい

蓮の花が好き。


ハスの花は、
朝、水面から花茎を立てて開花。
昼すぎにかけてだんだん閉じてゆく。
それを3~4日間くり返したあと
花びらがぱらぱらと散る。

花開く前のハス。


これは、2日目頃。
おわん型に開いたハス。



3日目頃。平らに開いたハス。



花期を終えたハスは、こんな風に
じょうろの先っぽのシャワーみたくなる。


どの蓮も個性があってかわいらしい。





「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
という言葉がある。


仏教でも、
泥水の中から生まれ清浄な美しい花を咲かせる姿は
清らかさや聖性、仏の智慧や慈悲の象徴とされている。
良い行いをした者は死後に極楽浄土に往生し、
同じハスの花の上に身を託し生まれ変わるという思想もある。




泥の中という、一見過酷な環境と思える中で
すくすく茎を伸ばし、綺麗なピンクの花を咲かせる蓮。




蓮がきれいだと思うのは、


“どんな環境にいても
どんな逆境の中にあっても
あたなは大きく綺麗な花を咲かせられる。”

そんなことを身をもって教えてくれているような、
そんな気がするから。


気高くて凛とした、美しい花。

大好きな花です。





“置かれた場所で咲きなさい”
そんなタイトルの本があった気がする。




自分のあるべき場所で、花を咲かせられたらいいな。









p.s.
花について調べていたら、こんなサイトを見つけた。
世界の国花
蓮が国花になっているのは、
インド、スリランカ、ベトナム。
そして、なんとシリアの国花は杏なのだそう。
一気に親近感がわく。

2017-08-04

パキスタン女一人旅紀行'17春【目次】

1. パキスタンへ、出発の日。

2. 北部拠点の町、ギルギットへ。

3. フンザを目指して。

4. 風の谷、フンザ。

5. 家庭訪問とイスラムの話。

6. 長谷川メモリアルスクール。

7. フンザのNGOを訪ねて。

8. パキスタンで民族衣装を作る。

9. 民族衣装、シャルワールカミーズ。

10.  フンザでウルドゥー語講座。

11.  ホパル氷河トレック。

12.  パキスタンのごはん特集。

13.  カリマバードバザール巡り。

14.  フンザの王様の古城、バルチットフォート。

15.  長寿の里と、106歳のおじいちゃん。

16.  アルチット村とナウシカの城。

17.  天然プラネタリウムのフンザ。

18.  フンザが一望できる、イーグルネストへ。

19.  イスラムの新年を祝う日。

20.  上部フンザ日帰り弾丸ツアー。

21.  パキスタンの伝統文化、メヘンディ。

22.  遠い異国の地で出逢えば。

23.  祝福の谷、フンザ。

24.  またね、インシャアッラー。

25.  パキスタンの中心で想うこと。




パキスタンからの手紙:目次

2017.2.27 - 3.30
 〜春のパキスタン北部〜女ひとり旅紀行

letter.1   パキスタンへ、出発の日。

letter.2   北部拠点の町、ギルギットへ。

letter.3   フンザを目指して。

letter.4   風の谷、フンザ。

letter.5   家庭訪問とイスラムの話。

letter.6   長谷川メモリアルスクール。

letter.7   フンザのNGOを訪ねて。

letter.8   パキスタンで民族衣装を作る。

letter.9   民族衣裳、シャルワールカミーズ。

letter.10 フンザでウルドゥー語講座。

letter.11 ホパル氷河トレック。

letter.12 パキスタンのごはん特集。

letter.13 カリマバードバザール巡り。

letter.14 フンザの王様の古城、バルチットフォート。

letter.15 長寿の里と、106歳のおじいちゃん。

letter.16 アルチット村とナウシカの城。

letter.17 天然プラネタリウムのフンザ。

letter.18 フンザが一望できる、イーグルネストへ。

letter.19 イスラムの新年を祝う日。

letter.20 上部フンザ日帰り弾丸ツアー。

letter.21 パキスタンの伝統文化、メヘンディ。

letter.22 遠い異国の地で出逢えば。

letter.23 祝福の谷、フンザ。

letter.24 またね、インシャアッラー。

letter.25 パキスタンの中心で想うこと。

2017-08-03

パキスタンの中心で想うこと。

フンザを後にして、ミニバスでギルギットまで移動。
ギルギットで一泊し、早朝のフライトでイスラマバードへ・・・。


遅延はあったものの、ベナジル・ブット国際空港に無事到着。





空港からは、整備された道路がしばらく続く。






宿を探しに、ラーワルピンディーへと向かう。


イスラマ、ピンディーでは、外国人の泊まれる安宿は少ない。
そんななかで、一泊1000ルピーで泊まれるという、
ピンディーのLAZANI HOTEl へ。


ホテルについて部屋を見せてもらったのだけど
バスルームで虫がたくさん這っているのを見て、
一瞬にしてここに泊まる気は失せてしまった。



このとき、イスラマバードでは、テロ警戒情報が出されていた。

街ゆく人々は、そんなのいつものことよ、と言わんばかりに
なにくわぬようすで大して気にもとめず暮らしているようなのだけど、
私は、そんななかで、
やっぱり治安の悪いこの国の大都市の人混みを
女ひとりで歩くのはこわかった。


もともとイスラマ、ピンディーではとくに何かする予定はなく
私にとっては、日本へのフライトを待つためだけの滞在だった。


そういうわけで、一日ゆっくり過ごせる清潔なホテルに泊まりたかった。



同じく目星をつけていた、Grace crown hotelも近くにあったので
そちらの方を見てみることにした。

ここは、Booking.comに載っているピンディーの宿では最安。
それでも、一泊3000ルピーなので、なかなか痛い出費。
でも、これで一旦日本に帰るのだし、お金は後からでもなんとでもなる。

清潔なGrace crown hotelを見て、迷わず宿泊を決めた。



昔なら…大学生の頃なんかは、
虫がいようが監獄のような部屋であろうが
お金がなかったこともあり、我慢して泊まれていた。


前みたいな、ちょっと泥臭い旅は、
それはそれでよかった。

でも今は、昔のような根性はないな…体力も。




それでも。
旅のスタイルはこれからも変わっていくと思うけど
今の私にできる旅を、続けていければ、と思う。





ごはんに在りつくために、ちょこっとだけ宿周辺を散策した。


コミッティチョーク

こういう、なんだかレトロな雰囲気の街並みはすごく好き。
様々な顔立ちの、多くの民族が暮らす混沌のまち。
リキシャー、チングチー、スズキ、タクシーが行き交う大通り。
露店には野菜を売る人、本屋さん、靴屋さんなど。
いろんなものが小さな空間にしきつまっていて、
見るもの全てが新鮮で、面白い。



もしも、
ここが平和で治安が良くて、
安心して歩きまわることができたらどんなに素晴らしいだろう。
人懐っこく話しかけてくれる人たちに、
警戒心を持たずに心から接することができたらいいのに。




テロ、タリバン、核兵器、、
日本に流れてくるパキスタンのイメージって
“怖い”って思うようなことが、やっぱり多い。


でもね、パキスタンって、
自然だとか、人だとか、文化だとか、遺跡だとか、
秘めたる魅力がいっぱいある国だと思う。



テロとかそういうのがなかったら
南アジアの観光地の一つとして、きっと栄えたと思うな。







この国が、この国に生きる人たちが
本当の意味で安心と安全を手に入れ
平和に暮らすことのできる日が訪れますように。


マイナスイメージばかりでなく
この国の素晴らしい面々が
できるだけ多くの人に伝わっていきますように。




そんなことを思いつつ過ごしたラストの日々だった。






そして、帰路へ。





Y.


2017年、3月の終わり。






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2017-08-02

またね、インシャアッラー【パキスタン】



今日は、約一ヶ月間過ごしたフンザを離れる日。


朝、いつものようにレセプションに行くと
いつもとかわらずキッチンに立っているアバースがいた。


彼は突然「君に、パキスタンネームをあげる。」
と言って、私にミドルネームをプレゼントしてくれた!


アバースがつけてくれた私のパキスタンネームは、
“ザハラ”


ザハラは、イスラム教の預言者ムハンマドの美しい娘の名前で
「美しい人、花」という意味のある名前なのだという。


「じゃあ、私の名前はユキ・ザハラだね。
素敵な名前をつけてくれてありがとう。嬉しい。」
そうお礼を言った。







お世話になった人たちとも、しばしお別れ。


オールドフンザインのオーナーと。
ニックネームは勝新太郎。


お世話になった、コックのアバース。


大好きなハイダー爺。

ハイダーインのオーナーの爺。
元軍人で、80歳を超えても元気な爺。


爺の笑顔と瞳は、とてもうつくしいと思う。
日に焼けた肌も、真っ白なひげも、顔に刻み込まれたしわも。
ほんとうに、素敵な年の取り方をしてる。



「また夏にくるつもりなの。夏にまた、会いましょう」
そうお別れを言うと、爺は、
「インシャアッラー(神の思し召しのままに…)」
と。



インシャアッラーは、イスラム世界の言葉で、
フンザのみんなが口癖のように使う言葉。

あした晴れるかな? 「インシャアッラー」
いつ頃杏の花咲くの? 「インシャアッラー」
またあしたね。 「インシャアッラー」


とにかく、なんでもかんでもインシャアッラー。
みーんな神様まかせなのだ。


インシャアッラー。。。都合のいい言葉だなぁ。


最初は、なんて適当なんだろうとあきれていたのだけど
聞いているうちにだんだんと、
その響きも心地よく聞こえてくるのだから不思議。

インシャラー♪
インシャラー♪


なんだかかわいい。




よく考えてみると、確かに
人生はインシャアッラーだと思う。

誰しも、どこにいても、なにをしていても、
あした何が起きるかは、誰にもわからない。


そう、神のみぞ知る。



だからこそ、身のまわりに在るものすべてに感謝する。
神様が与えてくれた今、この瞬間に感謝する。
小さなものごとに、よろこびを見いだす。


そして、与えていただいたものごとに対して
“シュクル アルハムドゥリッラー。”
(神様のお陰です)と感謝する。




フンザの人は、生きるのが上手だな、と思う。
昨日にこだわりすぎず
明日ばかり夢見るのではなく、
今をちゃんと生きてる。



なんでもかんでも「インシャアッラー」は
日本の社会では通用しないのかもしれない。



肩に力を入れないで生きる。


簡単なようで、日本にいるととても難しい。



それでも、もしも少しでも、
フンザの人たちに近づけたのなら。



インシャラシャ〜ラ〜

吹く風に争うのではなく
ただ流されるのでもなく


風とひとつになり、
その風に乗って、自分の翼で飛んでゆく。



そうやって生きていけたら
幸せが少しずつ増えていくんじゃないかな。






大事なことをたくさん教えてくれたフンザ。

シュクル アルハムドゥリッラー。




またね。



フンザの風よ、
私をまたここに運んでください。


インシャアッラー。





Y.

2017.03.28








2017-08-01

祝福の谷、フンザ【パキスタン】




この日はフンザ最終日だからと、めずらしく早起きをした。
いつものように部屋の外に出て、お天気チェック。



雲ひとつない快晴だった。

この天色の空を、ずっとずっと待っていた。
フンザに滞在していた1ヶ月間で一番の、ぽかぽか日和。



最後の最後に魅せてくれた、

“祝福の谷 フンザ”





久しぶりに顔を出してくれた太陽の光、
頬にやさしくあたる風が気持ち良い。



どこへ行くでも、何をするでもなく。
宿の近くを散歩して、景色を眺めて。
たまにすれ違うひとと話をしたり。



そうやって、いつもどおり穏やかに過ごした。







村の下の方は、あんずのピンクがいっぱいになって来ていた。




緑も増えて、空の青と山の茶色、白い雪に。
フンザの色とりどりの春。とても綺麗。







夕方は、お世話になった人にあいさつにまわった。
そして夜は宿で、フンザの伝統音楽・ダンスパーティーを楽しんだ。



穏やかで、幸せな1日だった。




Y.

2017.3.27