ラベル パキスタン'18春 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル パキスタン'18春 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019-03-09

パキスタン女一人旅紀行'18春【目次】


1. カラコルムハイウエイとフンザと / カリマバード(フンザ)

2. フンザ女性の人生とイスラムのこと / カリマバード(フンザ)

3. 杏の花咲く春のパスー村 / パスー(上フンザ)

4. パスーの素敵宿と名物おじいちゃん / パスー(上フンザ)

5. もうひとつの風の谷、ユンズバレーへ / パスー(上フンザ)

6. チュプルソンの瞳 / チュプルソン(上フンザ)

7. ウルタルの崖崩れ。今日を生きる / カリマバード(フンザ)

8. 新緑のフンザでまったり / カリマバード(フンザ)

9. フンザの有名宿ハイダーインのハイダー爺のこと / カリマバード(フンザ)

10.  タリバンに撃たれた少女の故郷へ / ミンゴーラ(スワート)

11.  シャホリの仏教遺跡とスワートの人々 / ミンゴーラ(スワート)

12.  上スワートの中心地、カラームヘ / カラーム(上スワート)

13.  「東洋のスイス」マホダンレイクへ / カラーム(上スワート)

14.  コヒスタン、山の民が暮らす土地 / カラーム(上スワート)

15.  ヒンドゥークシュ山脈の麓、チトラールへ / チトラール

16.  POLO!熱気溢れる男たち / チトラール

17.  JOSHI〜カラーシャ谷、春のお祭りにて〜 / ブンブレット(カラーシャ谷)

18.  お湯に浸かれることがこんなにも幸せだなんて / ガラムチャシマ(上チトラール)

19.  ヒンドゥークシュをみつめて / チトラール

20.  パキスタンでラマダーン / チトラール





2019-03-02

お湯に浸かれることがこんなにも幸せだなんて【パキスタン・ガラムチャシマ】














パキスタン北西辺境の地の、そのまたさらに奥地にある村、ガラムチャシマ。
この村に来た理由はただ一つ、


熱々の、温泉の湯に浸かること。


2018-09-18

ヒンドゥークシュ山脈の麓、チトラールへ【パキスタン】

辺境の都市、チトラール。

アフガニスタンの北東からパキスタンの北西部まで、1200kmにわたって広がるヒンドゥークシュ山脈。
パキスタン北部に広がる三つの山脈の一つで(他の二つはヒマラヤ山脈と、カラコルム山脈)、名だたる名峰が連なる世界でも有数の山岳地帯だ。

2018-09-14

コヒスタン、山の民が暮らす土地【パキスタン・スワート】

山の民が暮らす土地。

 以前の記事で「スワートはパシュトゥン人の多い地域」と書いたけれど、カラームとその周辺は例外。カラームは、「コヒスタン語(現地の人は“Khohi”もしくは“Ghohi”と言っていた)」を話す、コヒスタン人が多く暮らす土地。
コヒスタン人同士ではコヒスタン語を話すが、パシュトゥー語の通用度も高い。
そしてその次がウルドゥー語。そしてごくごく稀に英語を話す人もいる。
ちなみに「コヒスタン」は、「山の国」という意味。
文字通り、コヒスタンはこのあたり一帯に広がる山岳地帯のエリア指す。
彫りの深い精悍な顔立ちをした人もいれば、青い目をした西洋人のような顔立ちの人もいた。

2018-09-08

「東洋のスイス」マホダンレイクへ【パキスタン・スワート】


カラームに到着して2日目の朝、空は綺麗に晴れ渡っていた。
山の天気は変わりやすい。天気が悪くなる前に、「カラーム随一の美しさ」と噂される湖「マホダンレイク」を訪れたい。

2018-09-03

2018-09-01

シャホリの仏教遺跡とスワートの人々【パキスタン】



スワートは、アフガニスタンとパキスタンに跨って暮らす民族、パシュトゥン人が多い地域。
パシュトゥン人は、パキスタンの中でも特に保守的で、厳格なイスラム教徒として知られています。

現在のスワートは例外なくイスラム教一色に塗りつぶされた地域ですが、スワートにイスラムが入ってくるよりずっと前、もともとここは仏教が花開いた土地でもありました。
そのためスワートには、今もあちこちに仏教遺跡が残されています。

今では敬虔なイスラム教徒として生きるスワートの住民ですが、数千年も前からそこにあり続けてきた仏教文化の名残やその遺跡群は、自分たちのルーツであり、愛する故郷が歩んできた歴史の一部として、大切にしていたものでした。
ですが、2007年にスワートにやって来たタリバンによって、仏教遺跡を次々と爆弾や斧で破壊されてしまいました。タリバンは、厳格なイスラム原理主義を掲げ、「彫像や絵画はイスラム教に反する罪深いもので、許されない」と主張したのです。


ですが、そんなスワートにありながら、奇跡的に全く無傷で存在している仏教遺跡がありました。
今日は、奇跡の仏教遺跡、シャホリーの磨崖仏を訪ねた時のことを描きたいと思います。

2018-08-26

タリバンに撃たれた少女の故郷へ【パキスタン・スワート】


今回の旅も、瞬く間に一ヶ月が過ぎてしまった。
残された期間、どこの地域をまわろうか・・・。
北部スカルドゥ周辺、カラコルム・ヒマラヤの雄大な山々の村も見てみたい。
でも、 去年も訪れたアフガニスタン国境沿いに伸びる北西部カイバルパクトゥンクワでの感動も忘れられない・・・
ぎりぎりまで考えた末に、北西部地域に惹かれ続けている自分の想いに気づきます。
そうして、そのまま自分の心に従って次を目指すことにしたのでした。

2018-08-08

フンザの有名宿ハイダーインのハイダー爺のこと【パキスタン】


ハイダー爺のこと。

ハイダーインは、カリマバードに古くからある、バックパッカーの間で有名な安宿だ。
その宿を営んでいたのは、80歳を超えるハイダー爺。
フンザを訪れたことのあるバックパッカーなら誰もが知っているような、この地では有名なお人。

2018-08-01

新緑のフンザでまったり【パキスタン】



上部フンザを1週間ほど周り、カリマバードに戻ってくると
ほんの1週間前まではまだ小さな若葉を控えめにつけているのみだったポプラも青々とした葉を伸ばし
フンザの谷全体、新緑の景色が広がっていた。

2018-07-25

ウルタルの崖崩れ。今日を生きる【パキスタン・フンザ】


実は、カリマバードに着いてすぐ、身体中に発疹が出はじめた。
はじめは「蕁麻疹かな?」「すぐに良くなるだろう」と軽く考えていたけれど、症状は良くなるどころか悪化していく一方。
チュプルソンに滞在中はピークになり身体中の発疹は軽く100ヶ所を超え、しかも蕁麻疹や虫さされどころのかゆみではない。
夜も眠れなくなり、本当ならば長期滞在したかったチュプルソン村を数日の滞在のみで引き返し、政府運営の病院のあるカリマバードへと戻る事にした。
(何度か病院へ行き、最終的に疥癬治療のステロイド+殺虫作用のある軟膏を処方してもらい身体中に塗ってみたところあっという間に治った。)

2018-07-11

チュプルソンの瞳【パキスタン】


春のフンザ、パスー村を経由し、国境の町スストへ。
そこから乗り合いジープに乗車。チュプルソン谷へ向かう。

2018-07-04

もうひとつの風の谷、ユンズバレーへ【パキスタン】


「風の谷のナウシカ」のモデルになったと、旅人の間で噂されている桃源郷・フンザ。
実は上部フンザに位置するここパスーにも、「風の谷」と呼ばれる場所があります。

この日は、そんなパスーの風の谷・ユンズバレーを目指してみることにしました。

2018-06-27

パスーの素敵宿と名物おじいちゃん【パキスタン】


パスーで泊まったのは、「PASSU PEAK INN(パスーピークイン)」という宿。
村の中心地から、カラコルムハイウエイを1.5〜2kmくらい北上した場所にある。
このあたりは周りに建物がなく、少し先に進んだところに
ちょっと高そうなホテルと、「ミネコスクール」というパスーの子どもたちが通う学校があるのみ。

2018-06-23

杏の花咲く春のパスー村【パキスタン】


アーリアバードからミニバスで、北に1時間半。
カリマバードでは時期を逃してしまったけれど
少しだけ標高の高いここパスー村では、
薄ピンクの花を両手いっぱいに咲かせた可愛らしい杏の木々に会えた。

2018-06-17

フンザ女性の人生とイスラムのこと【パキスタン】


「朝早くに起きて、家族の朝ごはんの支度をする。
薪で火を起こし、パタラやフンザブレッド、チャイをつくる。
子どもを学校に送り出したら皿洗いや洗濯。
昼ごはんの時間になったらご飯を作り
それ以外の時間、昼間は畑作業や家畜の世話、薪集め。
部屋の掃除をして、夜になったら晩御飯の準備に片付け。
フンザの一般的な家には基本、日本みたいに便利なもの
(洗濯機とか、掃除機とか、ガスコンロとか)はないから
生活をすること自体に、時間がかかる。
あと、みんな子どもを多く生むから(5人〜10人くらいはザラ)
妊婦の期間が長いし出産も大変。
外でお金を稼いでくるのは男性の仕事。女性は家で働く。
彼女たちに自由に過ごせる時間は多くはなく、生き方を選ぶことも出来ない。
単調な毎日が繰り返されて、そうやって一生を終える。」
「これが、フンザの女性の人生だよ。」
「君はどう思う?」

あるとき突然フンザの友人(男性)に、そう言われた。