パキスタンのチトラールに来てから2週間が経った。
2週間もあれば、他にもいろいろな場所を巡れたはずだけれど、
旅の残りの時間を、大好きなチトラールで過ごすことを選んだ。
:
ラマダーンに参加したい!
2018年、5月。
「Yuki、もうすぐラマダーンが始まるよ」
チトラールの人たちが、ラマダーンのことを
口にするようになった。
イスラムのラマダーンといえば、断食。
世界約15億人のイスラム教徒が、
このラマダーンの1ヶ月間、毎日、
日の出前から日の入りまでの間の飲食を一切絶つ。
日の出と日の入りの時間は国によって違うので、
その国の時間に合わせて世界中で行われるのだが、
この時のパキスタンは日の出前のお祈りタイムが夜中の3時過ぎ、
日の入りが夜の7時くらいだったので、
約16時間もの間、食べ物も飲み物も、一切口にしないということになる。
そんなこと、人生で一度もしたことがない私。
何だか、ものすごく苦しそうなことに思える。
でも、みんなはラマダーンを嫌がるようすは一切なくて
むしろ、どこか楽しみにしているような、そんな雰囲気だった。
私は、このラマダーンを、やってみたい、と想った。
そこで、まずは身近にいる宿のスタッフや
護衛警察たちに宣言してみた。
「私も、ラマダーンの断食やるね!!!」
そう告げると、
みんな目を丸くして、
「何で?何で断食したいの?」
「君は旅行者だし、断食はそもそもしなくていいんだよ?」
(イスラム教徒でも、旅行中の断食は免除される)
それに対して、
「みんなと同じことをして過ごしたいから!」
と私。
みんな、「何それ〜」という感じで笑っていたけれど、
でも、本当に、そうなのだ。
世界の人口の4分の1が一斉に行うラマダーンは、一体どういうものなのだろう。
みんながラマダーンを楽しみにする理由は何だろう。
断食は、本当に苦しいのだろうか。
断食をすると、体やこころはどんな変化があるのだろう。
そういうことを知りたい、というのも理由の一つだった。
そんなわけで、帰国するまでのたった数日間ではあるけれど
パキスタンでのラマダーン体験が始まったのだった。
イスラム教徒にとってラマダーンとは、修行の一つ。
自身の信仰心を清める目的がある。
さまざまな欲を捨て、唯一絶対の神への献身と奉仕に没頭する期間。
この期間中の善行は普段よりも重要とされていて、寄捨も盛んになる。
そして食欲を断つなど、禁欲が課せられる。
断食は、空腹を経験して飢えた人への共感を育むことを目的として行われる。
はじまりの夜
2018年5月16日。
ラマダーンはこの日、月が見えたら始まるらしい。
夜の8時に政府から発表があるとのこと。
天気が悪かったのでどうだろう・・
と思っていたけれど、どうやら今夜から始まるようだ。
町で配布されていたラマダーンカレンダーによると
初日の断食の時間は朝3時21分から夜7時18分。約16時間の断食だ。
私は何となく、食べないことは問題ない気がしたけれど
水を飲めないということは脱水もありうるので心配だった。
この日の夜は、ご飯をしっかり食べて、
水分やドライフルーツを十分にとった。
みんな、夜11時くらいに寝て、夜中2時半くらいに起きて
スフール(断食前の食事)をとるらしい。
夜中の3時前。
宿のスタッフが、寝ている私を起こしに来てくれた。
「スフールの時間だよ。」
レセプションに降りていき、
住み込みでで働いているスタッフ2人と
チャパティをジャムとクリームでいただき、チャイを2杯飲む。
そして断食が始まる合図でもあるアザーン(モスクからの、礼拝を呼びかける放送)の音を聞くとともに、みんなで水ボトルを一気飲み。
いよいよここから、断食が始まる。
スフールが終わりアザーンが流れた後、
スタッフ2人はお祈りへ。
その後は、二人ともイスラム教の聖典クルアーンの朗読を始めた。
聞いてみると、アラビア語で書かれたクルアーンの内容は、
わからない部分がほとんどみたいだけど、
(言葉はわからないけど、小さい頃からイスラームを学んで来ているので
どんな意味の内容が書かれているかは知っている)
文字自体はウルドゥー語も同じアラビア文字を使っているので
読むには問題ないとのことだった。
私ももちろん何を言っているかわからなかったけど
コーランの独特のリズムや、歌のように奏でられる響きがとても美しいと思った。
このあとはみんなもう一眠りするとのことだったので
私も部屋に戻りしばらく日記をつけたりしてから眠りにつこうと思ったけど
食べ過ぎて胃がもたれ、
そして水分取りすぎで頻尿になり、なかなか眠れず。
結局、ウトウトしたり、目が覚めたりを繰り返して
やっと眠くなってきた頃に、起きる時間になってしまった。
ラマダーン初めての1日
9時に起床。
洗濯や諸々準備を済ませ、同じ宿に泊まっていたトシさんと待ち合わせ。
約束していた時間に護衛警察が来てくれて、宿を出発。
今日は、カラーシャやチトラールで数日一緒に過ごしたトシさんが、
チトラールを出発してマスツージへと向かう。
見送りのため、一緒にバススタンドへ。
バスはラマダーンが始まり本数は減っているようだったけど、
輸送用のバンが見つかり、そこに乗せてもらえていたのでよかった。
トシさんとお別れしてからは、護衛警察とともに歩き始める。
カラーシャから帰って来てからは護衛が代わり
ザミールというドローシュ出身の22歳の若者がついてくれることになった。
護衛警察とは、外出中常に行動をともにするので
相性によってはとても楽しくなることもあるけど、
ハズレだと微妙になることも。。。
ザミールとは相性が良さそう。
この数日間はなんだかとても気が楽だったし楽しかった。
そこまで口数は多くなかったけれど、
英語が話せてこちらが話しかけると楽しそうに笑ってくれるし、
私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれた。
女性の私に対して、ちゃんと距離を保って接してもくれた。
何より、私がやりたいように自由にさせてくれるところがありがたかった。
前の護衛の口癖は“It's not allowed”だったけど
ザミールの口癖は“It's your choice”だった。
まずはチトラールミュージアムへ向かった。
ここに関しては、ロンプラでは散々な言われようでけなされているけど
展示内容自体はそこまで悪くなかった。
けれど説明書がほぼないことと、
スタッフに尋ねても「よく分からない」と言われるばかりなのが残念だった。
展示内容は、チトラール王国のものではなく、カラーシャとガンダーラ文化のもの。
この内容ならば、ここに来るよりも、
ブンブレットにある博物館(内容充実・スタッフも詳しく解説してくれる)や、
ペシャワール博物館(ガンダーラ仏教の展示が充実しているらしい。行ったことはないけど)
に行った方がいいかもしれない。
それから、チトラールミュージアムと同じ敷地内にある
ポログラウンドの木陰で、少し休憩。
チトラールの子供たちが、クリケットをして楽しんでいるのを見学。
この時点で時間は13時前くらい。
最後の飲食から10時間近くになる。
お腹も空いて来たし喉も乾いてはいたけど、案外平気だった。
この日のチトラールの気温は20℃くらいで、
過ごしやすい気候だったから良かったのかもしれない。
思ったよりも余力があったので
「もう少し町を歩いて回りたい」
と言うと
「これから一番暑い時間になるし(せいぜい20℃後半だけどね)、
君は断食に慣れていないから無理しない方がいい。
夕方、もっと涼しくなってから歩こう」
とザミールに言われ、いったん宿に戻ることに。
宿で昼寝をして、16時前に再出発。
バザールを抜けて、町の外れへ。
ラマダーン中は店はだいたい昼くらいにならないと開かない、
と言う話をどこかで聞いていたけれど、
チトラールの人は真面目なのか、朝早くからほとんどの店が開いていた。
食べ物屋はやっていたけれど、それはイフタール用(日没後の断食明けの食事)で、
レストランやチャイ屋で飲み食いをしている人は誰もいなかった。
この時同じ宿に泊まっていた外国人旅行者は、この状況に苦労しているようだったけど・・
チトラールの町から山の方にある集落まで歩いた。
ポツリポツリと点在する民家の脇の道を通り、
好奇心旺盛な子どもたちと時おり交流しながら、
チトラールのバザールが見渡せる場所まで歩いた。
歩いている途中、ザミールはしきりに唾を吐き出していた。
“断食中、真面目なムスリムの中には唾さえも飲み込まないようにする人もいる”
というのはどこかの記事か本で読んだことがある。
本当に、唾すらも飲み込まない人がここにいた。。!
私なんかは、喉の渇きをなんとか唾を飲み込むことによって潤していたけれど・・
気合いが違うわ、このひと。。すごいなぁ。と感心。
ザミールはラマダーンが始まる前から
「断食が始まるのが嬉しい。すごく楽しみだよ。」と話していた。
ラマダーン中は、自身の精神を鍛えることができる期間。
この期間にする善行には、普段の何倍もの報酬がある。
そして何より、日中は断食をして過ごすけれど、
夜になると家族揃って食卓を囲んだり、モスクに出かけたり、
ナイトマーケットに買い出しに繰り出したり、賑やかに過ごすことになる。
日中、頑張って過ごしたぶん、日没後の楽しみがある。
家族や同じイスラムの仲間での一体感も生まれる。
決して、苦しいだけの期間では無いのだ。
「お腹すいたね。喉乾いたね」と話しつつも
楽しくチトラール周辺散歩をし、
夕方になって、宿に戻った。
イフタール
イフタールまで、あとすこし。。。
待ちに待った・・・と言うほどでもなく、
「なんだかあっという間だったなぁ。
と言うか、峠を越えたのでそこまでお腹空いてないかも・・」
と言う、予想外の状況。
喉はカラカラだけど、
でもそれは、私だけじゃ無い。
みんな一緒に断食を耐えている。
みんな同じだと思えば、何も苦などなかった。
でも、宿の若いスタッフたちは、結構大変そうだ。
「調子はどう?」といつものように尋ねると
「調子は悪いよ〜お腹が空きすぎて。」というスタッフ。
「君は?初めての断食、どう?」と聞かれ
「初めての体験だけど、案外平気かもしれない」と答えると
目を丸くしていた。
私はこのころ、元が少食だったのが良かったのかもしれない。
(胃炎によりしばらく少食生活をしていた)
消化にエネルギーを使わなくて済むので、
むしろ体がスッキリしているような感覚すらあった。
でも、若くてエネルギッシュな若者男性には、辛いのだろうなぁ・・
イフタールの時間が近づくと、みんないそいそと食事の準備を始める。
夜の7時すぎ、イフタールのお知らせブザー音(断食の終了を知らせる)が町に響き渡ると、
みんな「来たー!!!!」という感じ。
“ビスミッラー” (アッラーの御名において)
と、日本語の「いただきます」に当たることばを唱えてから、
みんなばくばく食べ始めた。
私もみんなと同じようにまずはデーツ(ナツメヤシ)をいくつか口に運び、水分をとって。
それからはいつもどおり。特に量はいつもと変わらなかった。
いつもは仕事が終わったあと自分の家に帰るスタッフも、
ラマダーン中は一緒に食事を楽しんだ。
私はチトラールでは、アルファルークホテルに泊まっている。
夜飯はいつも、ファルークのお母さんが作るとっても美味しい家庭料理を
宿のスタッフとみんなでいただいていた。
この日もファルークママご飯だったのだけど
いつものカレー、パラウ(炒めご飯)、ヨーグルトに加え、
パコーリ(揚げ物)やシャシーという甘いお菓子が出て来たり、
普段より豪華な内容だった。
街で会ったチトラールの友人何人かにも、私が断食をすることを話していたので
宿に差し入れの食べ物を持って来てくれる人もいた。
ラマダン明けの食事は、やっぱり、とびきり美味しかった。
断食にそこまで苦痛は感じなかったとはいえ、
食べ物を口に入れた瞬間は、最高だった。
“こんなにご飯が、美味しく感じるんだね・・”
ジーンと、目頭が熱くなった。
“アルハムドゥリッラー”(アッラーに讃えあれ)
と、「ごちそうさま」に当たることばを唱え
食事を終えた後は、みんなはお祈りへ。
アルファルークホテルには、しっかりお祈り用のスペースがあって
スタッフも宿泊客も、毎日何回もお祈りをしている。
フンザなど他の北部地域ではこういうのを目にすることはなかったので、
去年初めてこの光景を見たときは、新鮮な驚きがあった、
(チトラールはスンニ派ムスリムが多い。1日5回のお祈りをする。
フンザはイスマイリー派。戒律がゆるく、お祈りの回数も少ない)
初めはこの光景が日常であることに新鮮な驚きがあった。
「ここの人たちは、熱心にお祈りするんだなぁ」
としか思っていなかったけど
毎日この姿を見ているうちに、
「心にブレない芯のようなものがあるっていいなぁ」
真摯に祈り続けている敬虔なイスラム教徒である彼らを見ているうちに
なんだかそのお祈りすがたが「美しいな」と思うようになった。
イスラームのことは、勉強中。まだまだ、謎な部分が多い。
けれど初めてパキスタンにきた時の
「なんとなく怖い宗教。イスラームの話は、なるべく避けたい」
というイメージからは随分と変わった。
初めはイスラームについてどう思うか聞かれたときは
「勉強不足だからよくわからない」と答えていた。
イスラームにはマイナスなイメージもあったので、できるだけ避けたい話題だった。
けれど最近では、
「まだよくわからないけど、知りたい。
関心があるし、ムスリムのことはリスペクトしている」
に変わって来ていた。
断食を終えて、「yukiも一日、断食できたね、おめでとう!」
と、みんな私が断食していることに対してすごく喜んでくれた。
「次のステップはお祈りだね」とも。
ラマダーンに入る前は、
「断食は大変だよ〜」
「君には難しいと思うよ〜」
などと、いろいろ脅されたけど。笑
こんな具合で、チトラールの最後の数日間、
みんなと一緒にラマダーンをして過ごした。
イスラマバードへ
フライトの日にちが近づき、チトラールを離れる時がきた。
チトラールからイスラマバードへは、12時間のバス移動。
スフールの時に、24時間持続する強力な酔い止めを飲んでいたので
酔いはしなかったけど、副作用による口渇がすごかった。
でも、バスの車内で誰も飲食をしている人はいないし、
そんな中で自分だけ飲むのは嫌。なんとか我慢した。
移動中は、モスクを通りかかる度にバスを止めて
みんな真摯にお祈りをしていた。
モスクの入り口にはブルカをまとった物乞いの女性がいて、
モスクから出てくる人たちは、
そんな人たちに惜しまず喜捨をしていた。
イスラームには、助け合いの精神がある。
お金を持っている人が、貧しい人を助けるのは当然の行為。
喜捨をする姿はラマダーン以外でも見られるけど、
特にラマダーン中にした善行はいつもよりポイントアップするらしく
喜捨も盛んに行われるのだという。
イスラマバードが近づくにつれ、どんどん暑さが厳しくなって来た。
5月。南の地方だと、気温40°超えは日常茶飯事だ。
こういった地域だと、断食はものすごく大変だと思う。
熱波の押し寄せたカラチで、断食をしていた人々の
救急搬送や死亡が相次いだというニュースをみたこともある。
イスラムの断食は、すべてのムスリムに強制されるものではない。
妊娠中、整理中の女性、子供、お年寄り、旅行者、病気など体力がない者など
断食が難しいものに対しては、免除または延期も許される。
一日中重労働が課せられるものに対しても免除される、という特例もあるらしい。
(その場合は、毎日貧しい人に食べ物を施す)
「貧しいものの気持ちを体験する」という意味が込められている断食。
だから、気持ちがわかれば、救急搬送されるまで我慢しなくてもいいのではないか・・
神様も、断食で死ぬことは望まないのではないか・・と思ってしまうけど
でも敬虔なムスリムにとっては、
「(心の中心にある)神様のために守りたい、何よりも大切なもの」なのだろう。
命を犠牲にしてまで・・・?とやっぱり思ってしまうけど。
日没が近づき、バスの窓から見える町も
すこしずつ活気が出て来ている。
街にはイフタールのための屋台が多く出ている。
栄養満点のナツメヤシ、
スイカやメロンなど水分の多い果物、
あとは良く見るパコーリなどの揚げ物屋さんを始め
様々な食べ物屋さんが並ぶ。
みんな、イフタールのための買い物をしている。
夜7時頃。
イスラマバードへ続くモーターウエイのサービスエリアで、
無料で振る舞われていた食べ物をいただき、
バスに同乗していた人たちとともにイフタールの食事をとった。
イスラマバードへ着いてから、フライトまでの1日は
宿でスタッフと話したり、部屋で日記をつけたり、
宿周辺を散歩して歩いたりと、ゆったり過ごした。
***
“宗教も、言葉も、文化も超えて、世界中の人と仲良くなりたい。”
旅をする前から、もうずーっと前から、それは私の夢だった。
知識も教養もない。
言葉もたいして話せない。
そんな私でも、
異文化の地域に、人々の輪の中に、入ってゆくことはできる。
地元の人たちとなるべく積極的に関わって
身振り手振りで話す。
言葉がわからなくても同じ空間に身を置いて
一緒に笑ったり、一緒に楽しく過ごす。
彼らがやっていることを真似して、
おんなじものを食べて、おんなじ服を着て、
おんなじことをして過ごす。
今回のラマダーンも、そんなことの一部だった。
ちょっとしたことだけど、そうやって過ごしていると、
みんな驚くほどに、暖かく迎え入れてくれた。
そして人々と過ごすことで知れること、得られることがどれほど大きいか。
現地へ行き、自分の目で見て体験する。
たった一度の訪問が、100冊の本に相当するんじゃないかと思えるくらい
旅で得られるものはとても大きい。
パキスタンが好きになり、
パキスタンの人が好きになり、
大好きな人たちが心の芯に持っているイスラームとはなんなのか、
もっともっと知りたいと思うようになった。
そして、なるべく私もみんなの想いを大切にして行きたいと思った。
このラマダーン体験は、
私にとって、イスラームを本格的に学ぶ大きなきっかけになった。
2018年5月 旅の記録より
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