2018-08-08

フンザの有名宿ハイダーインのハイダー爺のこと【パキスタン】


ハイダー爺のこと。

ハイダーインは、カリマバードに古くからある、バックパッカーの間で有名な安宿だ。
その宿を営んでいたのは、80歳を超えるハイダー爺。
フンザを訪れたことのあるバックパッカーなら誰もが知っているような、この地では有名なお人。




私はハイダーインに泊まったことはなかったけれど、いつも宿泊させてもらっているオールドフンザインのすぐお隣の宿だったこともあり、周囲をふらふらと歩きまわっている時なんかに爺とは顔をあわせることも多かった。
爺は会うといつも「じいちゃん〜」「まご〜」と言っては、可愛らしい笑顔を見せてくれていた。
バザールへ向かうために宿からの急な上り坂を息を切らせながらゆっくり登っていると、両手に重そうなガス缶を持った爺に簡単に追い抜かされてしまったりして、「じぃはタフだなぁ」なんていつも感心していた。


私は、今回の渡航でも当たり前のように爺に会えるものだと思い込んでいた。


ところが。


オールドフンザインのスタッフに聞いた話によると、
今回のパキスタン渡航の1ヶ月ほど前。3月に、爺は胃がんで倒れ病院に運ばれたとのこと。
そして2週間ほど病院で療養していたけれど、そのままお亡くなりになった、と。


前回の別れ際「来年、フンザに戻ってきます。また会いましょうね」
と私が言うと「インシャアッラー。(アッラーの御心のままに)」
と、少しだけ悲しげな顔でお別れを言っていたじいの顔が思い出された。


爺の病気はもともとわかっていたものなのか、倒れてから初めて胃がんと診断されたのかはわからない。
でももしかしたら、あのとき爺は、わかっていたのかもしれない。
もう、自分が長くないかもしれないと言うことを。


昨日まで一緒にいた人と、明日には会えなくなるということは、当たり前に起こりうることなのだということを頭ではわかっているはずなのに、日々を過ごして行くうえでそんなこといつも忘れてしまっているから、心が現実を受け止めることができるまでには時間がかかる。

フンザに来ても、ここにはもう爺はいない・・・。

ちゃんとお別れの言葉や感謝の気持ちを伝えられなかったことも悔やまれた。



でもそれから私は、誰かとお別れをする時には、
それが一生の別れになるかもしれないのだというくらいの気持ちで心を込めて言葉を贈ろうと決めた。

もう、後悔しないように。





これからのハイダーイン。

爺が亡くなった後もハイダーインは細々とながら営業しているようだった。
ハイダーインのレセプションにお邪魔すると、そこには笑顔のじいの写真が壁に大きく飾られていた。
この時ちょうど、スタッフみんなで宿を全面改装しているところだった。
どうやら、これからは息子さんがハイダーインをやって行くらしい。


ハイダーインがなくならないとわかって、何だかホッと安心した。
ハイダーインがある限り、そこに行けば爺の面影を感じることができる。

でももしなくなるようなことがあっても、爺のこと、ハイダーインのことは、ここを訪れてきた数えきれないほど多くの旅行者の心に焼き付いているはずだ。




***

爺。あなたの最後の一年に会うことができたことは本当に幸運でした。

出会ってくださりありがとう。
安らかに・・・

***



2018.04




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