2018-06-17

フンザ女性の人生とイスラムのこと【パキスタン】


「朝早くに起きて、家族の朝ごはんの支度をする。
薪で火を起こし、パタラやフンザブレッド、チャイをつくる。
子どもを学校に送り出したら皿洗いや洗濯。
昼ごはんの時間になったらご飯を作り
それ以外の時間、昼間は畑作業や家畜の世話、薪集め。
部屋の掃除をして、夜になったら晩御飯の準備に片付け。
フンザの一般的な家には基本、日本みたいに便利なもの
(洗濯機とか、掃除機とか、ガスコンロとか)はないから
生活をすること自体に、時間がかかる。
あと、みんな子どもを多く生むから(5人〜10人くらいはザラ)
妊婦の期間が長いし出産も大変。
外でお金を稼いでくるのは男性の仕事。女性は家で働く。
彼女たちに自由に過ごせる時間は多くはなく、生き方を選ぶことも出来ない。
単調な毎日が繰り返されて、そうやって一生を終える。」
「これが、フンザの女性の人生だよ。」
「君はどう思う?」

あるとき突然フンザの友人(男性)に、そう言われた。





え、急に言われても・・・うーん・・・
私は言葉に詰まってしまい、すぐに答えることが出来ず
『あなたはどう思う?』
『フンザでは、旦那さんと家事の分担はしないの?』
と逆に質問をしてみると
「基本的にしないよ」という。
『じゃあ、あなたは?』という問いに対しては
「まだ結婚していないからわからない」とのことだった。







私は自分のしたいことをしたい時に好きなだけ出来るし、
今はいくらでも、(自分が出来ることの範囲で)仕事や生き方の選択が出来る。
ちょっと頑張って働いてお金を貯めれば、世界中行きたい場所に行ける。
私は今のこのスタイルが好きだから、それが出来る場所に生まれてよかったと思うし、
そう過ごせる環境にいれるのは本当に有難いことだと思う・・・いや、思っていた。


でも、よく考えてみると、どうだろう。
私は、フンザの女性が不憫だとか、不幸だとかは思っていない。
多分、今のフンザは、昔の日本に近い部分があるんじゃないかと思う。
(昔の日本に生きていたわけじゃないから、実際はよくわからないけど。)
確かに彼女たちが持っていないもの、便利さを私たちはたくさん手に入れたけど
でもそれと同じくらい、私たちが失ってしまったものも、
彼女たちはまだたくさん持っているんじゃないか。
ただただ、“生きる”ために暮らす。懸命に、一日一日を生きる。
繰り返される日々の中でも、彼女たちには“余裕”がある。
子どもがたくさん居て、固い絆で結ばれた家族がいて、
いつだって笑いと笑顔がある。
自然の中に身を置き、様々な情報にさらされることなく
余計な物事に縛られずにシンプルでいることは、
ある意味、豊かな暮らしだと思うのだ。


そしてフンザだけでなく、イスラムの社会全体的なイメージとして
「男女差別の社会」という印象は多くの人が持っているんじゃないかと思う。
“女性は黒いベールをかぶり、あまり家から外に出ず、自由がない”
といったところが多くの人が想像するイスラム女性のイメージではないか。
私も初めはそう思っていた。
「イスラムは、不自由で、とりわけ女性に優しくない宗教だ」
「フンザは本当に美しいけど、でももしここに住めるかと言われると・・
女性が自由でいられない環境では暮らせない」とも。
だけれども、実際にイスラムのコミュニティにしばらくの間身を置いてみて
ムスリムの友人やイスラムに関して書かれた本などから学んでいくうちに
だんだんと「いや、むしろその逆では?」と感じるようになった。
イスラムでは女性は「守るべき存在」とされ、「女性は宝物」という言葉もあるのだという。
あれこれある規則は、誘惑に弱い男性から、女性を守るため。



イスラム・エスノグラファーとして、イスラム圏を数多く取材してきた
常見藤代さんの最新の著書「イスラム流 幸せな生き方〜世界でいちばんシンプルな暮らし〜」
には、こんなことが書かれていた。

男女の違いをなくすことが平等と言うなら、イスラムは男女平等とは言いがたい。
イスラムでは「男と女は違うもの」とし、それぞれ得意分野に応じて、役割分担して生きた方が楽に生きられると説く。「男は女より力が上だから稼ぐのは男」と神が決めた。女は「しかたがないわね。神がお決めになったんだから」と受け入れる。「でも満員電車に乗らなくていいし楽でいいわ」。男に稼がせてリラックスしながら暮らす。それがある意味イスラムの女性の生き方だ。男性はタイヘンだ。日本なら「ヒモ」にもなれるが、その選択肢はない。

パキスタンでは多くの場合、働くのは男性。
(都会では働く女性も多いのだけど)
家族は子どもも何人もいる場合が多いから、お金を稼ぐのは大変。
一人で家族全員を養っていくのが当たり前。
その点、日本の女性について考えてみると、
今の女性は男性並みに働くことが当たり前になり、頑張っている女性が多い。
だけれども、日本の女性がしなければならないのは仕事だけでない。
時代が変わってきた今も「家事・育児は女性のやること」という考えは根強い。

日本では生きる選択肢も多すぎる。恋愛するのも自由、仕事も自由・・・。誰かが「結婚より仕事」と言えば、「そうかも」と思い、どこかの本に「結婚してなきゃ負け犬」とあれば「それもそうだ」と思い、「おひとりさま」という言葉が流行れば、「やっぱり一人は気楽でいいわ」などと、女心は様々にゆれる。
イスラム女性は宗教という生きる軸がある。結婚は神の命令。周囲のプレッシャーで否応なくすぐに子供を産ませられる。自由か不自由かといえば、不自由だが、そのぶん迷いや悩みも少ない。

選択肢が多いと不幸になるという研究結果もあるらしい。
決断した後も、「他の選択もあったのでは」と悩むからとのこと。


最近、ふとしたときに思う。
“もしイスラム女性として生まれていたのなら
今まで紆余曲折し、あれこれ色々と悩み、悶々と過ごしてきたような日々はなかったんじゃないだろうか。
もしそうだったとしたら、どんなことを考えて、どんな生活を送っていたのだろう・・”
そんな風に、あれこれ想像してみる。
時には、イスラムの女性が羨ましく思えてくることもある。


もちろんいいことばかりではないが、
イスラム女性として生きる上での利点は上述した他にもたくさんあると思う。
(利点と捉えるかどうかは、人それぞれですが)
ですがそれについては長くなるので、またの機会に。







「フンザの女性の人生についてどう思う?」と今聞かれたとしても、
やっぱり私はハッキリと答えを出すことはできないと思う。
便利な日本の社会で生きてきた私が「フンザの女性は幸せ。フンザに暮らしたい」
などと気軽に言ってしまうのはあまりに軽率なことだとも思うし、
「自由がある日本に生まれてよかった」というのも何か違う。
どちらかが良くて、どちらかが悪いということではない。
ただ日本でせわしなく働き、様々なストレスにさらされ
あらゆる問題を抱えて生きる女性を思った時、
「自由な国に住んでいるはずの私たちは、なぜこんなに不自由なのだろう」
と思ってしまう。
そんなとき、フンザで生きる女性たちに一種の憧れを抱いてしまうのだ。
シンプルで力強くてどこか凜とした、彼女たちの生き方に。


豊かな暮らしって、何だろう・・・




答えは出ないけど、ただ一つ私たち日本人に言えること。
それは、
“豊かだと思う暮らしを自分で選択できる自由がある”
ことは、とても幸運なことだということ。



私たち日本人は今の時代、どこに居ても何歳になっても
多くの場合、その気さえあれば生き方を選べるし、
自分の置かれた環境を変えたりすることは可能なのだ。






自分自身を見つめなおし、
何が自分にとって大切なのかを考えるとき。
イスラムの世界で凜として生きる女性たちは
いつだって思いがけないような答えやヒントをくれる。





2018.4




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