2018-09-18

ヒンドゥークシュ山脈の麓、チトラールへ【パキスタン】

辺境の都市、チトラール。

アフガニスタンの北東からパキスタンの北西部まで、1200kmにわたって広がるヒンドゥークシュ山脈。
パキスタン北部に広がる三つの山脈の一つで(他の二つはヒマラヤ山脈と、カラコルム山脈)、名だたる名峰が連なる世界でも有数の山岳地帯だ。





ヒンドゥークシュ山脈の最高峰はティリチミール(7708m)でチトラール付近からもその姿を拝むことができる。
ちなみヒンドゥークシュとは、ペルシア語で「インド人殺し」を意味する。
かつてインドがイギリスの植民地だった頃は、現パキスタンも英領インドの一部だった。その頃インド人の奴隷がペルシアに抜ける際、この山中の険しさから何人も遭難し亡くなったことに由来していると言われている。

チトラールは、このヒンドゥークシュ山脈の谷間を縫うようにして細長く広がる町。
アフガニスタン国境沿いに南北に伸びるカイバル・パクトゥンクワ州北部の都市で、チトラール地区の中心となる場所だ。
中心には、町を二分するようにチトラール川が流れる。

チトラールへのアクセスは、ペシャワール方面からロワリ峠を超えるか、ギルギット方面からシャンドゥール峠を越えるか。(飛行機もあるが、山岳フライトのため欠航が多い。そして、ほんの2年ほど前にイスラマバード〜チトラール間で墜落事故が起き、乗客全員が死亡するという痛ましい事故があったこともあるので、なんとなく乗ろうという気になれない。)
数年前にロワリトンネルが開通したことで、ペシャワール方面からは陸路でも一年を通してアクセスが可能になったが(イスラマバードからの直行バスもある)、それより以前は陸路の場合どちらの峠も冬の間(11〜5月頃)は通行不能で閉ざされたエリアだった。

チトラールの町。


チトラールの人々。

チトラールの人々



チトラールはアフガニスタンの国境にも近く、この辺りでは古くから栄えた交易都市だったこともあり、絶えず中央アジアの影響を受けてきた。19世紀末までは独立した君主国家となっていて、イギリス統治時代も自治区として内政を任されていた。
1947年にパキスタンがインドから分離独立した後もチトラールはこの状態を維持しており、王政が廃止され,正式にパキスタンの管理下に置かれたのは1969年、わずか49年前のことだ。

チトラール地区に暮らす人々の多くはKhowar(コワール)語を話すKho人(通称チトラーリー)だが、中にはパシュトゥン人やカラーシャ族、そして上部チトラールには、アフガニスタンのワハーン回廊から移り住んできたワヒ族とわずかなキルギス族も暮らしているという。


チトラールの町では、たまにカラーシャ族も見かける。



チトラールの人々はイラン系山岳諸民族の特徴を持つ人が多い。パシュトゥン系、タジク系の顔立ちの人もよく見かけるが、中には白い肌に青い瞳の人もいる。古くから様々な血が混ざり合って来た地域なのだろう。イスラマバードなどパンジャーブ方面からこの地に足を踏み入れると、人々の容貌が異なるのでまるで異国に来たような気さえしてくる。
パキスタンでは男性は洋服を着ている人も多いのだが、チトラールはみんなシャルワールカミーズの民族衣装姿。"パコール"と呼ばれるフェルトの帽子をかぶっている人も多い。
女性はほとんどがアバヤにショールで口元や鼻まで覆っている。
写真も嫌う人が多いので、この地域での女性の撮影は困難。
美人が多いだけに、その姿をあまり見れないこと、写真に撮ることができないのは残念だ。


チトラール男性。




チトラールへの陸路でのアクセスは、シャンドゥール峠またはロワリ峠からと書いたが、実は本来なら最も容易なアクセスルートはアフガニスタンのジャララバードからクナール渓谷を通るルートである。このルートは本来なら一年中利用でき、カブールへも直接アクセスできるのだが、当然現在のような状況下では通行は不可能だ。
このように、国境が近いだけありここにはどうやらアフガニスタンからの移民も多いらしく、アフガニスタンの影響もよく表れている町だ。座敷にあがって食べるアフガンスタイルの食堂も多くあり、食べ物もアフガニスタン式。(とっても美味しい!)




チャイ屋さん。




お気に入りでよく通っていたアイス屋で働いている若者が、お洒落なアフガンスタイルのシャルワールカミーズを着ていたので、「アフガンスタイルだね、とても素敵。」と話しかけると、なんとその若者もアフガン人だという。
「紛争があって、僕が生まれる前に家族がパキスタンに難民としてやって来たんだ。僕はアフガン人だし家ではダリ語(アフガニスタンの国語)で話すけど、アフガニスタンには行ったことがないんだ。」
たまたま入った布屋さんの若オーナーも、アフガン人だと言っていた。
彼はまだ幼かった時に、難民として家族とパキスタンにやって来た。
「もしアフガニスタンにいたら、生き残ることはできなかったと思う」
そう話していた。


チトラールには、アフガン難民が多く暮らしているエリアもある。


アフガン人居住エリアにいた子どもたち。



アフガンの影響も受けているせいか、チトラールもなかなか保守的な地域である。
女性の社会進出は進んでいないようで、ペシャワールやスワート同様自由に歩き回っている女性は少ない。
(上部チトラールは戒律ゆるめのイスマイリー派ムスリムが多いので、そんなことはないが。)


居心地の良いチトラール。

なぜだろう、ここチトラールは私にとってとても居心地の良い場所なのだ。
昨年の夏も訪れて、のんびり気持ちよく過ごすことのできたチトラール。
今回、他にも今までに訪れたことのない地域を新たに訪問する選択肢だってあったけれど、心の片隅にいつもチトラールがあって、今回も何かに導かれるようにこの地を訪れることとなった。
外国人はセキュリティポリスをつけなければならない、という大きなハンディキャップがあるにもかかわらず、今の所パキスタンの中でも1、2を争うほど私にとっては居心地の良い町なのだ。

大きすぎず小さすぎず、程よい町の規模。
ゴミゴミしていないので疲れないし、イスラマバードやペシャワールからやってくると、空気の美味しさに感動する。安くて快適な宿があること、ご飯がマイルドでとっても美味しいことももちろんその理由の一つ。きっと気候や風土も体と心にマッチしているのだろう。

そしてここも、信仰心の厚いイスラム教徒が多い場所。
旅人に優しく、基本的にレディーファースト。
ムスリムではない外国人の女一人旅でも、不快な思いをさせられることが全くない。
(服装や文化に配慮してふるまうことは前提として)
穏やかな人柄でちょっとシャイ、どこか日本人的なチトラール人。
程よい距離感で接してくれるところも好きなポイントのひとつ。
どうも居心地が良くて、ついつい長居してしまう大好きな場所だ。






しばらくの間、またこの町でゆっくりさせてもらうことにした。




バラの花に彩られた、美しきシャーヒーモスク。



2018年5月 旅の記録より


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