2020-01-23

強烈な、違和感の始まり【ヨルダン→イスラエル】



2019.3.10


今日は、ヨルダンのアンマンから国境を越えて、
イスラエルとパレスチナの聖地エルサレムへと移動する。


早朝6時に宿を出て、歩いて15分くらいでJETT BUS STANDへ。
6時半、アレンビー橋(ヨルダン-イスラエル国境)行きのバスに乗車。
ひと気の少ない朝のアンマンの街中を、バスは進んでゆく。
アンマンの街を抜けると、高さのない木と、赤茶けた岩群の景色が続く。


7時半頃にヨルダンのイミグレに到着。
出国税10ディナールを払い、再びバスに乗り込む。
それから謎の待機時間を経て出発し、
イスラエルのイミグレに到着したのは9時半だった。


イスラエルの入国審査は、世界一厳しいと言われているらしい。
中でも、私が入国しようとしている、「アレンビー」
(ヨルダン側ではキングフセインブリッジと呼ぶ)
という国境は最も難関であると。


入国審査を受けるため、列に並ぶ。
係員の質問は異様に長く、一人にかける時間がとても多いように感じる。
いったい何を聞かれているのだろう・・・?
少しずつ自分の順番が近づいてくるごとに、緊張が増す。


いよいよ自分の番になり、「Hello」と言って係員にパスポートを渡す。
相手はニコリともしない。
訪問目的、訪問する予定の都市、日数、出国後の予定、
滞在するホテルの名前、イスラエルに友人はいるかなど、
様々な質問をされる。


卒なく答えていたつもりだけれど、
私のパスポートをパラパラとめくっていた係員が
あるページを開いた時、その表情が変わる。
「パキスタンに何度も行っているのね。○○○○スタンにも。
・・・あそこのベンチにかけて待っていてください」
入国スタンプをもらえないままパスポートは別のスタッフに預けられてしまう。


ベンチを見ると、同じように、入国審査を通れずに
待たされている人が何人も座っている。




1948年、シオニズムによって、パレスチナの地に建国されたイスラエル。


周囲を敵対するアラブ諸国に囲まれたイスラエルは、
以来4度の中東戦争を戦い、紛争を繰り返してきた。
国や土地を追われたパレスチナの民の抵抗に対し、
テロを防ぐためという言い分により、
国際法上の違反をいくつも犯しているにもかかわらず、
パレスチナ自治区に分離壁を築き、入植地を作り、占領を広げている。
封鎖が続いているガザの人々は、空爆に怯えている・・・
(国連による非難にもかかわらずこのようなことが公然と行われている背景には、
米国のユダヤ・ロビー、親イスラエルのトランプ政権の影響も大きい)

ホロコーストを経験した彼らは安住のユダヤ人国家を作ることに拘り、
パレスチナ人に対して自身が経験したのと同じ負の歴史を繰り返している。
「あのような歴史を決して、繰り返してはならない」
という決意は、自民族に対してのみ適応されるというのか。
「二度と繰り返さない」という言葉は、
「誰の上にも二度と繰り返さない」という意味を持って語られるべきではないのか。




入国にあたっては、
イスラエルを攻撃する気などありません
アラブ諸国などとの味方関係でもなく
テロを起こす可能性もありませんよ、
と、イスラエルに対する脅威となり得ない人物であることを
証明されなければならないらしい。
敵対するアラブ諸国やイスラム圏への渡航歴があると、
入国が厳しくなるようだ。


ベンチで待つ旅行者は順番に面接官に呼ばれ、
詳細な質問に答えてゆく。
それに合格した人はパスポートを返され次々と入国して行くが
私はここでもまた不合格。
2時間・・・3時間・・・あっというまに時間が過ぎて行く。
お昼には、エルサレムについている予定だったのに、
もうとっくに正午を回ってしまっている。


どうやら私は相当な問題児と見なされているようで、
追加で特別室での荷物検査や取り調べを受けることになった。
(この日私が見た限り、特別室行きになったのは私を含め3人だった)


取り調べの係員は30代くらいの女性で一見笑顔の仮面をかぶっているけれど、
目は全然笑っていなかった。
後ろについているボディーガードの男は、ニコリともしない。


特別室での取り調べは、面接というよりもはや尋問。
イスラエルのどの地域を訪問するのか、
パレスチナに行く予定があるのか、ガザへ行く気か、
訪問の目的、イスラエルに友人はいるか、
日本での職業、家族構成、婚姻ステータス、宗教、
ハマースやISやアルカイダをどう思っているか、
イラクやシリアで起きていることについてどう思うか、
パキスタンではどこを訪れたのか、
パキスタンの友人たちは今回の渡航を知っているかなど・・・
完全に、テロを起こしかねない危険人物扱いされているようだ。


荷物の中に凶器となるものはないか、
そしてスマホの中身、メールや写真、
メッセンジャーの中身へもチェックが入る。
パキスタンの友人とのトーク履歴に関しては、
相手の職業を尋ねられたり電話番号を控えたりもしている。
プライバシーなどここでは無縁のようだ。


本当にただの旅行者にすぎない私だけれど、
容疑者扱いされていることに対し、だんだんと不安になってくる。


入国拒否は仕方ないけど、逮捕でもされたらどうしよう・・・と。


イスラエルなど、来るんじゃなかった。

もう、行こうとも思わないから早いところ解放してほしい。
もともと行きたいのはパレスチナ自治区だったのだけれど。




結果をいうと、私はイスラエルへ入国することができた。

イミグレ閉鎖時刻間近、夕日が沈もうという時刻、
職員の男性から、無表情で、何の言葉もかけられず、パスポートを返却された。

入国拒否はほぼ間違いないだろうと覚悟していただけに、拍子抜けした。

ようやく、丸一日の軟禁状態から解放された。




でも、これでは入国から、
イスラエルが嫌いになってしまう・・・
この国は、何をそんなに怯えているのだろう・・・



けれど、ここまできたなら、
パレスチナの現状をこの目でしっかり見てきたい。



エルサレム行きのバスに乗車する。
乗っているのは、ほとんどがイスラエル国籍を持つパレスチナ人のようだった。
国境でのこともあり、パレスチナ人に囲まれているというだけで心が落ち着いた。


エルサレムまではいくつか検問があり、
パレスチナ人はIDカードの提示、私はパスポートの提示を求められた。


検問にいるイスラエル人の兵士は、20代前後くらいの若者ばかり。女性も多い。
ユダヤ系イスラエル人は、高校を卒業すると男性は3年、
女性も1年9ヶ月の兵役が課せられる。
女性に兵役がある国なんて聞いたことがない。
過剰すぎるとも思える強い国防意識。
兵役拒否をすると投獄される可能性もあるという。
中央アジアを旅している時、旅先でイスラエル人のグループに会うことが多く
イスラエル人は旅好きなのかなぁなんて呑気に考えていたが、
兵役を終えた開放感から旅に出る若者が多いということらしい。



夜8時頃、ようやく西エルサレムの予約していた宿にチェックインできた。
近くのレストランでサラダを頼んだのだけど
新しい通貨の感覚に慣れていなくて1000円もするということに後で気付き驚愕。
ここは物価が高い。日本より高い。




今晩一泊のみここで休み、明日はパレスチナ自治区のベツレヘムへ向かうことにする。

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