2019-11-05

ペシャーワルでの再会と、ファティマの記憶【パキスタン】

チトラールより約12時間のミニバス移動を経て、
ペシャーワルへと辿り着く。時間は夜の9時。


ペシャーワルは、2017年の8月に初めて訪れて以来、2度目の訪問だった。
前回はイスラマバードで会い、共に旅をすることになった日本人の旅人タカさんと、二人で訪れた。
旅慣れた日本人との二人旅はとても心強いものだったけれど、
それでも、レベル4(外務省の退避勧告)の地域へ行くのは初めてだったこともあり、とても緊張していた。


2度目の今回は、私ひとり。
到着も夜になってしまったけれど、
1年前のあの時とは違い、もう不安はほとんど感じていなかった。






ひとまず、以前もお世話になったRose Hotelへ向かうことに。
リクシャーに乗り、夜のペシャーワルの街をぼぅっと眺めていると、
あっという間に見覚えのある通りに辿り着く。Rose Hotelも目の前だ。
チトラールで頂いた数々のお土産により、
日本出国の時の2倍以上に膨れ上がったバックパックを担ぎあげ、
Rose Hotelのレセプションへと階段を登る。


そこで出迎えてくれたのは、懐かしい顔だった。
イルファンという名の、宿のマネージャーは、
前回、私たちのペシャワール滞在を全力でサポートしてくれた恩人だ。


私の顔や服装が、以前とは随分と変わったせいか?
(顔はそんなに変わらないと自分では思っているけれど・・)
すぐには誰だかわからなかったようだけど、、
家を訪問して奥さんにもお会いしたことなど話をすると、
ピンときたようで、あぁ、君はMis.Yukiだねと言い、
改めて、相変わらずの礼儀正しい挨拶を、してくれた。


パキスタン北西部ではお目にかかることの多い、甘い緑茶(カフワチャイ)を頂き、
レセプションでゆっくりと、話に花を咲かせる。
そこで、旅の話、チトラールでの改宗の話をすると、
ペシャーワルでも、チトラールで改宗した日本人のことが話題になっていると聞き、驚く。
まさか君だったとは、とイルファンもたいそうおどけた様子だった。


しばらく話をした後で、
ところで、、申し訳ないのだけれど、
今ここには外国人を泊めるわけには行かないんだ、
と衝撃の事実を告白される。


最近では、外国人もRose Hotelに泊まれるようになったと云う話を
何人かの旅人から聞いていたし、何ならほんの2-3週間ほど前に、
このホテルに宿泊したと言う日本人に、ラホールで会っていたこともあり、
今回は、間違いなく泊まれるだろうと、考えていた。


イルファン曰く、どうやら、つい1週間ほど前までは、
実際に外国人が泊まっていたのだけれど、
その時に滞在していた日本人女性2名がペシャーワル警察に目をつけられたらしく、
そこから警察がまた厳しくなり、ホテル側としては、
外国人はことわらざるを得なくなってしまったのだという。
ここ数年そんなのを繰り返しているみたいで、
Rose Hotelに泊まれるかどうかは、運次第のようだ。


けれど、こんな遅い時間に君を路頭に迷わす訳にも行かないし、
今日は良ければ僕の家に泊まるといいよ、と言ってくれるイルファン。
確かに、この時間から大きなバックパックを担いで
ペシャーワルの街を女一人で歩き回るのは得策ではないように思う。
イルファンの自宅は昨年もタカさんと訪れており、
美しい奥さんとご両親とともに暮らしていることは知っていた。
1日だけ、イルファンの好意に、甘えさせてもらうことにした。


イルファンの業務が終わるのを待ち、
その後、自宅へとリクシャーで向かう。


リクシャーを降り、住宅の入り組んだ迷宮路のような路地を往く、
イルファンの背中を見失わないように早足でついて行く。
すると、見覚えのある家の入り口の前にやって来た。
そこから、1年前と全く同じように、
2階の部屋に上がり荷物を置かせてもらい待っていると、
1年前にも会ったイルファンの超絶美人妻のアフシーンと再会。
そして何と彼女の腕には、大事に抱えられた、小さな小さな子。
ちょっと待って、赤ちゃん、、?今生後何ヶ月なの?と聞くと、
14ヶ月になるね、とイルファン。
っていうことは、あの時、アフシーンは妊娠7ヶ月だったということ?
全然気がつかなかったよ。驚いちゃったよ、と私。


イルファンは、アフシーンから手渡されたその子を抱き、チークキスをする。
その子の名前は、ファティマというらしい。
繋がり眉毛がイルファンによく似た、可愛らしい女の子だ。
イルファンは、ファティマにメロメロ。すっかり、父親の顔だ。


ファティマは人懐っこく好奇心旺盛の女の子。
おもちゃで一緒に遊びながら、美味しい家庭料理をいただいた。


イルファンの家は、奥さんのアフシーン、娘のファティマ、
そしてイルファンの両親の、5人暮らし。
去年から、イルファンのお母さんは体調が良くないという話を聞いていた。
今も、調子は悪いようだけど、
私が来たということを聞いて「ぜひ会いたい」と、
2階の部屋まで会いに来てくれた。


初対面にもかかわらず、メーリーベティ(私の娘)、
と云い大きな胸でハグしてくれた。
言葉はほとんど通じなかったけれど、暖かな時間を過ごす。


夜も遅く24時を回ろうとしていたところなので、程なく寝る時間に。
私一人に部屋をあてがってくれ、布団を用意してくれた。
清潔な毛布に包まり、ぐっすりと朝まで眠ることができた。


翌日、遅めの朝食をイルファンの家で頂いた後に、アフシーンの実家を訪れる。
アフシーンは何と、10人姉弟のようで、兄弟のうち7人が、
すでにこの家に勢揃いしていた。
10人姉弟の長女は30歳で既に4辞の母、アフシーンと同様の超絶美女だ。


皆の会話を聞いていると、どうも聞きなれない言葉が話されていることに気づく。
ペシャーワルはパシュトゥーン族の街であり、
街のいたるところでパシュトゥー語が話されているわけだけど、
パシュトゥーン以外の少数部族も暮らしているようで、
イルファンたちはパシュトゥーン以前からのこの地の土着民らしい。
なんて言う民族かは忘れたけど、
「ペシャーワルでも最も古い部族なのだよ、
僕たちが話す言葉は、パシュトゥーごとは違うんだ。
もちろん共通言語としてパシュトゥー語やウルドゥー語は話せるし、
誰がどの部族かははたから見るだけれは見分けがつかないね。
この地域の文化や言葉に馴染んでいるけど、
自分たちのアイデンティティーも大切に持ち続けたい」
イルファンは、そう話していた。



アフシーンの実家を後にし、イルファンの家へ戻る。
さて、そろそろ今晩寝床にする宿を探しに行こうか、
と荷造りを始めようとすると、
今度は私が来ていると言う話を聞いた、
イルファン方の親戚一同が次々と家へとやってくる。


親戚一同から、マスコットキャラクターのように愛されている、
天真爛漫に笑うファティマを中心に囲み、
お茶やお菓子を食べながら、半日ここでワイワイと過ごした。



これまでパキスタンを旅している中で何度も経験したことだけれど、、


客人がやって来ると、家族親戚一同でもてなす。
それは時に、仕事や学校も、予定をキャンセルしてまで、
特別に時間を作って盛大に歓迎してくれる人たち。


パキスタンで出逢った人たちのこういう姿を見る度に、
時間に忙殺されて心の余裕を失ってしまう、
日本での生活を振り返ったときに、
忙しさのために心を失うような生き方はしたくない、とつくづく思う。






午後には旧市街に近い、宿を探すために家を出た。









2019年11月 旅日記より








***





イルファンとはその後、日本にいてもたまに連絡をとっている。







2019年7月、久しぶりに彼から着信があり、
メッセージを開くと、衝撃的な内容が、目に飛び込む。






ファティマが、死んだ。





思わず自分の目を、疑う。冗談・・・でしょう。
あんなに小さくて元気で可愛いファティマが、死んだ?
どういうこと?何があったのだろう?




どうやら、少し目を離している間に、あやまって窓から落ちてしまったというのだ。
本当に信じられない思いでいっぱいだけれど、
イルファン夫婦とファティマが過ごしていた2階の部屋の構造を思い出すと、
いっぽ間違うと小さなファティマが落ちてしまいそうな窓が確かにあったことを
思い出し、身体中の毛がぞわっとした。
突然、愛する娘が命を落としてしまった。
今となってはどうしようもないけれど、それはきっと、防げた事故だ。
私だったら、後悔してもしきれない。
イルファンとアフシーンの想いを想像するに、耐えない。





「夜になってみんなが寝静まっても、眠ることができないんだ。
ファティマが部屋で遊んでいる姿が見えるようだし、
パパ、パパと呼ぶ声が聞こえてくるよう。
いつもアフシーンと、すすり泣くことしかできないんだ。
さっき、君がファティマのために作ってくれた折り紙を見たよ。
悲しくなったと同時に、君にとても会いたくなったんだ。
ゆき、君はファティマの友達だよ。たくさん一緒に遊んでくれた。
次はいつくるんだい?
アフシーンと二人で、君がまたペシャーワルに来るのを待っているよ。
母親もなくし、愛する娘もなくしてしまって、どうしたらいいのか分からない。
いつもアッラーにお助けを求めている。
どうか、僕ら夫婦のために、祈ってほしい。」



彼の、悲痛の叫びが、聞こえてくるよう。




イルファンはついこの間母親をなくしたばかり。
ひどく気落ちしていたところに、次はファティマだ。
イルファンもアフシーンも、かけがえのない幼い命を失い、悲嘆に暮れている。
私は何と声をかけたらいいものか、わからずに、途方に暮れる。







スマートフォンの画面を固まったように凝視を続けた後、
しばらくたってから、


イスラーム世界で、誰かがなくなったときに添える、
日本でいうところのお悔やみの言葉のようなものを、送る。



そしてひたすら、彼らのことを想いながら、額を地につける。


































誠に我らはアッラーのもの 
アッラーの御許にぞ帰りゆく
ファティマに慈悲をお与えになり
天国で生かしてくださいますように







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