近頃、食品スーパーに行くのが楽しい。
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家から自転車に乗って15分圏内に、
スーパーマーケットが3つも4つもある。
そんなの普通じゃない?
と言うひとも、中にはいるかもしれないけれど、
ここ数年、辺鄙な地域で生活してきた私にとっては、
ちっとも普通なことではない。
とくに、2年と8ヶ月の間暮らしていた小笠原諸島の父島は、
食料自給率が低く、多くの食品を、内地からの輸入に依存していた。
週に1回の船で、内地から送られてくる食品は、
船が波止場に入港したその日の午後に、島の小さな商店に並ぶ。
私は何よりも野菜が大好きなので、色々な野菜を買いたいのだけど、
24時間の船旅を得て島にたどり着いた野菜なので
当然鮮度は落ちるし、値段も高い。
その日は、閉店時間になるギリギリまで、
狭い店内が人でごった返し、レジには長蛇の列が延々と続く。
そしてもう次の日には、半分くらいの野菜はすでに品切れとなり、
野菜コーナーの空いた空間には、ほんのわずかな地物野菜が新たに加わるのみである。
仕事の関係上、入港日に買い物に行けることが少なかった私は、
欲しいと思う野菜はなかなか手に入れることができず、
商店に行き、陳列されている野菜の中で
つくれる料理を頭の中で描きだし、買い物をするというのが常だった。
不便だったけど、限られた材料の中で工夫して料理を作るということが、
得意になったのでそれはそれでよかったと思うのだけど。
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・・・と。こういった環境で長いこと生活していたものだから、
今いる環境のありがたみを、ひしひしと感じるのだ。
私が一番気に入って頻繁に利用している近所のスーパーは、
地元の人から言わせると「値段が高い」らしいのだが、
これまでいた場所の物価を考えると、「どこが?」と思ってしまう。
こんなに種類豊富で新鮮な野菜や果物が、この値段で、いつでも手に入るなんて、
これまでの暮らしを考えれば、夢のようなことである。
このスーパーがお気に入りな理由は、
地元農家さんの直売コーナーが大体的に設けられている点である。
正午くらいにスーパーに行くと、よく、
おそらく収穫を終えたばかりの百姓姿の農家さんが、
大切そうに、野菜を一つ一つ丁寧に並べている姿を目にする。
汗拭きタオルを首からかけ、よく日焼けした彼らをみると、
「お疲れ様です」「いつも美味しい野菜をありがとうございます」
「いただきます」と、声をかけたくなる。
綺麗に陳列されたそれらの野菜は、
数ある野菜の中でもひときわ輝きを放ち、
とびきり美味しそうに見える。
きっと、こういうのが当たり前だったとしたら、
こんな風にありがたみを感じることも、
スーパーに買い物に行くというただそれだけのことに、
喜びや楽しさを見出すこともなかっただろう。
不便な暮らしも、してみるものである。
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