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改宗をした翌日。
町を歩き始めると、どういうわけか、
すれ違うひとみんなが穏やかな笑顔を向けて、
マーシャアッラー
直訳すると、「神様が望まれたことです」。
他者にとって良い物事を見聞きしたときに、
素敵!素晴らしい!よかったね!などの意味で使われるアラビア語で
全世界のイスラーム教徒共通の言葉。
ムバラク、シスター
ムバラクは、ウルドゥー語で「おめでとう」の意味。
ムスリムは皆、信仰上の同胞であるので
お互いのことを「ブラザー」「シスター」などと呼んだりする。
と声をかけてくれる。
これはどういうことだろう、
と後々ポリスや宿のスタッフに聞いてみたところ、
どうやら昨日の改宗のようすが
チトラールのいくつかのメディアで取り上げられたらしい。
モスクでシャハーダをしているとき
ワカースが写真撮ってるな・・・
とは気づいていたけど、
その写真がメディアに提供されていたとは思いもよらなかった。
これ、宿のスタッフが教えてくれた
フェイスブックのポスト。
改宗のことは、
メディアを通して、人から人へ伝えられ
ちいさな地方都市であるチトラールでは、
町中の人が私の改宗を知っている、という状況になっていた。
その日の午後からしばらくの間は、
私がアルファルークホテルに泊まっているという情報を
どこからか聞きつけたチトラールの要人や報道関係者が宿を訪れ
インタビューしたいと言われ、そのまま取材を受けた。
その時の映像がまたメディアで流れ
改宗のことは後々訪れるペシャワールまで届いていた。
チトラールの人にもパキスタンのあちこちで出会った人にも、
「パキスタンのことをどう思う?イスラムをどう思う?」
と、よく質問されていたことを思い出す。
みんな、真剣な眼差しで、でも少し不安そうな顔で、
そんな質問を投げかけてきた。
外国人の間では、自分たちやイスラームのことは
あまりよく思われていないかもしれない、という気持ちがあったのかもしれない。
そんな中で、ムスリムと結婚したわけでもないのに、
自らの意思で改宗した日本人女性がいるというのは、
彼らの中では驚きのニュースだったみたい。
どういうきっかけで改宗しようと思えたのか、
イスラームのどこが魅力に感じたのか、
たくさんの人たちに質問された。
その度に、一人一人の誠実なムスリムとの出会いが、
イスラームへの関心を引き起こしてくれたことを語った。
*
改宗してから、チトラールには数日滞在した。
この間、多くの人に温かな言葉をかけられ、
訪れた女の子のマドラサ(神学校)で
可愛らしいシスターたちといっぱいハグして、
さらに贈り物をたくさんいただいたり、
地元の家族に招待され家庭料理をご馳走になったり
とてもあたたかで、忘れられない日々を過ごした。
日本に帰ってきた今も、あの時のことを思い出すと
胸がいっぱいになってしまう。
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