アシュハドアッラーイラーハイッラッラー
ワアシュハドアンナムハンマダンアブドゥフワラスールフ
2018年10月17日。
パキスタン北西部、辺境の都市チトラール。
町の中心に佇む、玉ねぎ型のドームを持つ美しいモスク。
その日私は、モスクにあるちいさな一室で
10名ほどのムスリム(イスラーム教徒)男性に見守られながら
シャハーダ(信仰告白)をしていた。
アラビア語で唱えたシャハーダを日本語にすると、
以下の意味になる。
アッラーの他に神はなく
ムハンマドはアッラーの使徒であることを私は証言します
そう、この日私は、
イスラーム教徒としての新たな人生をスタートさせたのだ。
*
パキスタンという多様な文化や自然環境を併せ持つ国に
特別な魅力を感じてあちこち歩き回ったけれど
特別な魅力を感じてあちこち歩き回ったけれど
訪れた中でも一番居心地が良いと思った場所が
パキスタン北西部カイバルパクトゥンクワ州にある、
チトラールという名の小さな町だった。
チトラールという名の小さな町だった。
ヒンドゥークシュ山脈に囲まれた山々の景色が美しい街で、
気候は生まれ故郷の長野に似ていて過ごしやすく
食べ物も美味しくて、ついつい長居をしたくなる場所だった。
少し控えめではあるけど人と人との距離感もとても心地よく、
誠実で敬虔なムスリムが多い地域だとも感じていた。
ここで出会った人たちは、
イスラームについて、私に(言葉で)多くを語ることはしなかった。
けれど彼らの背中は、生き方や行動は、
言葉よりももっと確実に、イスラームを物語ってくれていたのだと思う。
日に5回の礼拝、人々に対する接し方・・
彼らの姿を、いつも私は間近で見ていた。
その中で、人としての立ち姿、振る舞いそのものの美しさに惹かれていった。
そして、彼らが生活や心の中心に大切に大切に持っている
イスラームという教え自体にも興味をもつようになった。
食べ物も美味しくて、ついつい長居をしたくなる場所だった。
少し控えめではあるけど人と人との距離感もとても心地よく、
誠実で敬虔なムスリムが多い地域だとも感じていた。
ここで出会った人たちは、
イスラームについて、私に(言葉で)多くを語ることはしなかった。
けれど彼らの背中は、生き方や行動は、
言葉よりももっと確実に、イスラームを物語ってくれていたのだと思う。
日に5回の礼拝、人々に対する接し方・・
彼らの姿を、いつも私は間近で見ていた。
その中で、人としての立ち姿、振る舞いそのものの美しさに惹かれていった。
そして、彼らが生活や心の中心に大切に大切に持っている
イスラームという教え自体にも興味をもつようになった。
パキスタン3度目の訪問の際、
このチトラールでラマダーンを体験した。
地元の人々と共に断食したことをきっかけに
自分もイスラーム教徒になりたいと思うようになった。
日本に帰国してからもその思いは日に日に強くなっていき
今回4度目の訪問で、シャハーダをするに至った。
改宗は日本のモスクでもできたけれど、
イスラームが美しいと思わせてくれたチトラールの地で、
改宗をしたいと思った。
シャハーダに関しては、
いつもチトラールでお世話になっている宿のオーナーファルークを始め
チトラールやカラチなどに住む友人たちにも事前に相談させてもらっていた。
チトラールやカラチなどに住む友人たちにも事前に相談させてもらっていた。
*
いざ、モスクへ。
お昼過ぎ。
宿を出て護衛警察とともにチトラール警察署へと向かう。
マスジドに行って改宗したいことを護衛に伝えると、
まずは警察署に行くようにと言われたためだ。
(この頃、治安の関係上、外国人旅行者には
チトラールを旅する上で様々な制限があった)
そしてチトラールの警察署長と面会をした。
何か特別なインタビューがあるのだろうか、
と少し緊張していたけれど、警察所長は意外にもあっさりと
「改宗に関しては私が口を出すことではありません。
あなたの思うように、あなたのしたいようにして構いません。」
と、快くマスジドへ送り出してくれた。
外国人登録オフィスを担当する警察官で
日頃からお世話になっていたワカースも、
マスジドに一緒についてきてくれることになった。
マスジドに行って改宗したいことを護衛に伝えると、
まずは警察署に行くようにと言われたためだ。
(この頃、治安の関係上、外国人旅行者には
チトラールを旅する上で様々な制限があった)
そしてチトラールの警察署長と面会をした。
何か特別なインタビューがあるのだろうか、
と少し緊張していたけれど、警察所長は意外にもあっさりと
「改宗に関しては私が口を出すことではありません。
あなたの思うように、あなたのしたいようにして構いません。」
と、快くマスジドへ送り出してくれた。
外国人登録オフィスを担当する警察官で
日頃からお世話になっていたワカースも、
マスジドに一緒についてきてくれることになった。
シャーヒーマスジドチトラール
マスジドのイマーム(イスラームの指導者)には、
ファルークが事前に話をつけてくれていた。
ファルークが事前に話をつけてくれていた。
マスジドの一室に入ると、既にイマームをはじめとした十数人の
ムスリムの男性たちが、集まってくれていた。
みんなの前で、まずは自己紹介。
みんなの前で、まずは自己紹介。
改宗しようと思った理由を聞かれたので、
簡単な英語で答えた。
フンザをきっかけにパキスタンを訪れ、人々の優しさに心が熱くなったこと。
他の地域も訪れてみたいと、パキスタン中の町や村を歩きまわったこと。
あちこちで多くの人に親切にしてもらったこと、助けてもらったこと。
パキスタンの自然や人々の温かさ、人間くささがとても好きになったこと。
パキスタンの人々を通してイスラームにも興味が湧いたこと。
(パキスタンは国民の約97%がイスラム教徒)
大好きなパキスタンの人たちが心の中心に持っているイスラームとは何なのか
知りたい、理解したい、自分も大切にしてゆきたいと、次第に思うようになったこと。
クルアーンやハディースを勉強していること。
イスラームを勉強していく過程で、その教えが論理的に正しいと気づいたこと。
やっていいこと・いけないことが明快でわかりやすいと思ったこと。
この教えを守っていけば自分も少しは良い人間になれるのではないか、と思ったこと。
また、
これまで自分は今まで何の信仰もなかったこと。
悩み事やあらゆる疑問を持った時に
拠り所とできる明確なすべを持たずに生きて来たこと。
そんな自分には、イスラームという人類普遍の教えが
生まれた時から目の前にある彼らが羨ましく思えたこと。
そして、イマームからの質問はたった3つ。
フンザは自分たちとは違うタイプの信仰を持つ地域であるが
そのことは理解しているか。
(フンザは大多数がシーア派から派生したイスマイリー派、
チトラールはスンニ派が多い地域。
チトラールにもイスマイリー派は一定数いるが、どちらかというとマイノリティ。
けれどここではスンニも、イスマイリーも、独自の信仰を持つカラーシャも
争うことなく良好な関係を保ち共存している。)
チトラールにもイスマイリー派は一定数いるが、どちらかというとマイノリティ。
けれどここではスンニも、イスマイリーも、独自の信仰を持つカラーシャも
争うことなく良好な関係を保ち共存している。)
誰かの強制ではないか、自分の意思で改宗したいのか。
それに対して私は、
宗派の違いは理解した上で、チトラールでの改宗を希望していること。(スンニ派)
家族はイスラム教徒ではないし、周りにイスラム教徒の知人も一人もいないこと。
両親は、私がムスリムになることに賛成ではないこと。
故郷では日常的にイスラームに触れる機会は無に等しいこと。
それでも、いつか受け入れてもらえる日が来ると信じていること。
誰からも強制されず、自らの意思で改宗したいと思ったこと。
そんな思いを拙い英語で伝えた。
イスラーム教徒になるのはとても簡単。
モスクで成人ムスリム男性2名以上の立会いのもと
イマームの導きで冒頭のアラビア語のセリフを証言する。
ただ、それだけ。
※神様と自分の間の契約なので
自分一人でこのセリフを心から言うだけでも
神のもとではイスラーム教徒となることができる。
モスクで成人ムスリム男性2名以上の立会いのもと
イマームの導きで冒頭のアラビア語のセリフを証言する。
ただ、それだけ。
※神様と自分の間の契約なので
自分一人でこのセリフを心から言うだけでも
神のもとではイスラーム教徒となることができる。
イマームに導かれシャハーダを行い
この時、私は晴れてイスラーム教徒となった。
新たなムスリムネームは、ザハラ。
アラビア語で「花、美しい」という意味。
パキスタンでは「ローズ」という意味もあるみたい。
預言者ムハンマド(SAW)の娘の名前でもあるので
イスラーム世界では人気のある名前なのだという。
イスラームに改宗しようと決意するまでには
様々な心の動きがあり、本当に色々な流れがあったのだけど
改宗の理由をうまく言葉にして説明ができる自信はまだ、ない。
今回は、簡単な経緯と改宗した時のことを記録してみた。
またそのうち、しっかりと記事にまとめたいと思っている。
今回は、簡単な経緯と改宗した時のことを記録してみた。
またそのうち、しっかりと記事にまとめたいと思っている。
世界では、紛争や争いごとが絶えない。
戦争、難民問題、特定の民族への理不尽な弾圧。
21世紀になってからはことさら、
イスラーム関連の物騒な事件のスキャンダル、
もしくはイスラーム圏で起きている、
不当に人が殺されるような、
悲しい報せをよく耳にする。
そうした報せはニュース番組などを通して伝えられるが
西洋経由で入ってくるそれらの情報を見ていた私は、
イスラームや宗教そのものが問題であるかのような
錯覚を起こしてしまっていたように思う。
確かに、今のイスラーム世界は、間違いだらけなのかもしれない。
けれど、何かに惑わされてはいないだろうか。
あらゆる物事に、イスラームの本質が覆い隠されてはいないだろうか。
温厚で誠実で、人として大変尊敬できるムスリムとたくさん交流し、
イスラームを勉強していく中で、そんな疑問を持つようになった。
そもそも世界を見る枠組みが偏っていては、
ほんとうのイスラームを知ることはできないのだと思う。
近代西洋諸国の価値観や私のような日本人の、世界を見る枠組み自体が、
イスラームとはそもそも相容れないものであるとしたら・・
まず、そこに気づくことが、始まりなのかもしれない。
パキスタンに行っていなかったとしたら、
実際にイスラーム世界に身を置くということがなかったとしたら、
自分の目で見て判断すると言う行為を怠っていたら・・
きっと私は、争いの裏にある物事の本質の存在を、
気に留めることもなかっただろう。
外側から眺めているだけでは、、
知識だけでは、わからないこともある。
じっさいに内側に入ってゆく。
自らムスリムとなることで、ムスリムの眼差しで物事を考えることもできる。
そうすることで、
今世界で起きている出来事の本質を、世界の仕組みを、
少しでも正しく、理解してきたい。
実際にイスラーム世界に身を置くということがなかったとしたら、
自分の目で見て判断すると言う行為を怠っていたら・・
きっと私は、争いの裏にある物事の本質の存在を、
気に留めることもなかっただろう。
外側から眺めているだけでは、、
知識だけでは、わからないこともある。
じっさいに内側に入ってゆく。
自らムスリムとなることで、ムスリムの眼差しで物事を考えることもできる。
そうすることで、
今世界で起きている出来事の本質を、世界の仕組みを、
少しでも正しく、理解してきたい。
***
アルハムドゥリッラー
改宗して9ヶ月が経つが、
ムスリムになって良かったという実感は日ごとに強くなっている。
もともとイスラームといえば、決まりごとが多く窮屈なイメージがあったけれど
それはあくまでもイスラームの持つ一側面に過ぎない。
イスラームの教えの本質は、
神様以外に服従すべきものは何もない
ということ。
国家の中で、その国の中の一部の人たちが決めた
時代によって変わりゆくルールの中で、翻弄させられながら生きているのでは。
気づかないうちに、あらゆる制約の中を生かされていたのではないか。
なんとなく感じていた生きづらさの理由がわかり
そうしたことから心を解放することで、今では随分と生きることが楽になった。
それはあくまでもイスラームの持つ一側面に過ぎない。
イスラームの教えの本質は、
神様以外に服従すべきものは何もない
ということ。
教師も親も上司も、同僚も友だちも、常識も世間も空気も、
すべて不当に服従を迫る偽りの神々に過ぎません。
イスラームとはまず、人間を束縛する偽りの神々からの解放の教えなのです。
ー中田考著「私はなぜイスラーム教徒になったのか」より
国家の中で、その国の中の一部の人たちが決めた
時代によって変わりゆくルールの中で、翻弄させられながら生きているのでは。
気づかないうちに、あらゆる制約の中を生かされていたのではないか。
なんとなく感じていた生きづらさの理由がわかり
そうしたことから心を解放することで、今では随分と生きることが楽になった。
できればもっと早くにムスリムになりたかった、
生まれた時からムスリムでありたかったとは正直思うが、
不信仰を経験した上で改宗してムスリムとなったことで
より深く、世界を知ることもできる。
イスラームの立場も、そうでない立場も、どちらも理解することができる。
たった一つのきっかけが、たった一つの出会いが、
ひとりひとりの人間の背中が、私に新たな価値観を与えてくれた。
言葉での表現は苦手だし、
いつも、人前では言いたいことの半分も言えないような私だけど・・・
彼らのように、
立ち姿、立ち振る舞いで、
イスラームを示してゆければと思う。
そのためにも、今は学びたい。
学ばなければ。
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