先週、地元の杏の花が、満開に。
地元に戻る度に訪れる、姨捨地区。
姨捨駅や長楽寺のあたりから棚田を見下ろすと
きまっていつも、フンザの懐かしい景色を思い出す。
ひどい乾燥のために砂埃の舞う白い大地、
気まぐれな太陽が顔を出してくれた日の
ぽこっぽこっと雲が浮かんだ、優しい青空、
白い雪を頂いた雄大な山々・・・
お気に入りの場所から
正面奥に見えるのは、標高7000mを超えるラカポシ。
振り返ると、フンザの谷を見守るようにウルタルが聳え立っている。アーモンド、アプリコット、チェリー、
ピーチ、アップル・・・
石造りの家と段々畑の間に立つ木々は
次々と華燐な花をつけて、人々の目を楽しませてくれる。
やさしいピンク色に包まれた村を散歩していると
地元の人たちがHello!と言ってニコッと微笑みかけてくれる。
去年も、一昨年も、
フンザで春をめいっぱい謳歌した。
なんて贅沢な時間だったのだろう、と思う。
体全体の細胞という細胞が、生き生きと呼吸を繰り返している、
そんな感覚のする日々だったよ。
出来ることなら、
ずっとあの国にいたい、
と思ってしまうし
実際その気になれば、
そうすることも不可能ではないことは、
わかっている。
けれど、けっきょく今わたしは、
日本で生活することを、
選択している。
*
いつも何か満たされない気持ちを持ち続け、
その何かを外の世界に求めていた私に、
そのままで十分に幸せなんだよと、気づかせてくれたのは、
パキスタンやパレスチナをはじめとした、旅先で出会った多くの人たち。
そして、彼らを通して学んだ、イスラームの教え。
私には自分の国があって、帰る家がちゃんとある。
「いつでも帰ってきていい」と言ってくれる温かな家族がいる。
自分の町をでるためにチェックポストを通らなければならない、
なんてことはまずないし、
好きな場所に行くこと、海を見に行くこと、
海の外の世界へと行くことだって許されている。
ご飯が食べられなくてひもじい思いをすることもない。
蛇口をひねれば水がいくらでも使えて、
24時間いつでも温かいシャワーを浴びることができる。
贅沢な生活はできないにしても、質素に暮らしていれば、
お金に困ることも、そして仕事に困ることもたいていの場合、ない。
6歳になれば小学校へ行き、卒業したら中学校へ。
家の手伝いや学費が払えないことを理由に学校に行けなくなることなどないし、
好きなだけ勉強をしたり、友達と外で遊ぶこともできる。
裁判無しに急に政府に拘束されるなんてこともありえないし、
ロケット弾の襲撃に怯えながら生活するなんて想像もできない。
私にとって当たり前だった世界は、
広い世界を見渡して見ると、
全くもって当たり前ではなかったのだということも、
世界を旅する中で実感した。
そして、そうした世界が、
私たちの暮らしの、合わせ鏡の裏側にあるのだということも。
*
生き方を選べる自由があるということは、
ある意味ではとても厳しい。
自由であるということは、
そのぶんだけ、神様から多くの宿題を、
与えられているということ。
お前は何を思うのか?
お前はどう生きるのか?
日々、試されているような気がする。
*
みんなに恥じないような生き方ができるように。
どこにいっても、その地域で、社会で、
人々のために何かができる人間になるために。
“与えることは、与えられることの何倍も幸せなこと”
与えてもらうのを待つのではなく、
いつも、与えることに喜びを見出して生きて行きたい。
また、修行の日々です。
0 件のコメント:
コメントを投稿