最近は、「読書の秋」ならぬ、「読書の冬」。
停滞したままのパキスタン旅行記を早く書き上げたいのだけれど、この頃はそれよりも「本を読みたい欲」が強いので、なかなか旅行記には手がつけられないでいる。
読んだ本の記憶が、いつの間にか薄れてしまっていることが多いので、健忘録のためにもここに内容や感想を記録して行きたい。
停滞したままのパキスタン旅行記を早く書き上げたいのだけれど、この頃はそれよりも「本を読みたい欲」が強いので、なかなか旅行記には手がつけられないでいる。
読んだ本の記憶が、いつの間にか薄れてしまっていることが多いので、健忘録のためにもここに内容や感想を記録して行きたい。
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中田考先生を初めて知ったのは、今から4年前。
2015年、1月。
IS(イスラム国)による、後藤健二さんと湯川遥菜さん二名の邦人人質事件に関するニュースが連日のようにテレビで報道されていた。
そんな中、「ISと独自のパイプを持つ」とするイスラム法学者である中田考さんが、ISとの仲介役を申し出て緊急記者会見に登場。
長いあごひげを生やし、鋭い目つきで記者会見に臨む、ただならぬ雰囲気を纏った人物。この事件の前年には、イスラム国への参加を希望した北大生に渡航支援を行い、公安から聴取された経験ももつという。
「この怪しげな人はいったい何者なのだろう」と興味を持ったことを覚えている。
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それから数年後。
イスラム圏を旅する中で、イスラームに関心を持つようになった。
イスラムについて調べていくと、中田考さんが世界的に有名なイスラーム学者で、「日本でいちばんイスラームを知っている」と言われているらしいことがすぐに分かった。
イスラームに関する数多くの本を出されていたり、イスラム教の聖典クルアーンの日本語の解釈書の監修もされていたりと、日本のムスリム社会の中では知らない人がいないくらいに有名なお方。
中田考さんが監修を務めた『日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解』を読了した次に私が読んだ著書が、この『私はなぜイスラーム教徒になったのか』だった。
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初めはこの本は、中田考さんの生い立ちから改宗までの半生を綴った自伝のようなものかと思っていたけれど、(もちろんそういう内容も含まれているけれど)それだけではなくて、イスラームの信仰や生活・文化と思想の精髄が非常にわかりやすく端的に紹介されている。
イスラムのことをよく知らなくても面白く読める本だと思う。
「残念なことに、日本人に伝えられているイスラームは、解放の教えとしての真のイスラームではなく、イスラームを覆い隠すノイズ にすぎない堕落したムスリム社会の因習、スキャンダルばかりです。そこでは本来イスラームでないものがイスラームとされ、イスラームが人間をさらに束縛するというイメージが再生産され続けています。そのような根本的誤解を解くことこそ、私がこの本を書いた理由です。なぜ私はイスラーム教徒になったのか。この本の中で、私は自らの人生を振り返りつつ、イスラームとはなんであり、ムスリムであるとはどういうことなのか、そしてイスラームを通して見た世界がどのようなものであるかを述べていきたいと思います」。(序文より)
本を読んで、これまで持っていた中田考さんに対するイメージがガラッと変わった。思っていたよりも全然普通で、とても実直な方。
そしてこの本を読んで、中田考さんについて私が思ったことは、
「中田考さんは、学者であると同時に、世界平和の実現を強く願うひとりのイスラム教徒・ひとりの人間である」ということ。
著書の冒頭で、イスラム学者としての自らの役割について、以下のように述べられています。
私の中にはイスラーム世界と日本人に向けて、二つの異なった目標が生まれました。イスラーム世界に対しては、アッラーへの絶対服従を目指して精進する求道者たちと共に、イスラームの理想を裏切る現状を改革する道を学問的に明らかにする。日本人に向けては、ムスリム世界では善人も悪人も賢者も愚者もだれもがムスリムであること、つまりムスリムであることは限りなくやさしい、ということを伝える。この二つが、ムスリムの親を持たず、みずからの意志でムスリムになり、イスラームについて学んできた私の役割だと思っています。
難しい表現もなくとても読みやすい本なのだけれど、内容はとっても濃い。
私が持っていたイスラームに関する様々な疑問に対する答えが短い文章の中にたくさん詰まっていた。
具体的には、
・「ハラール認証」について。何がハラールで何がハラームなのか。
・サラフィー・ジハード主義(超厳格・保守主義)の人々についてとその論理
・スーフィズム(イスラム神秘主義)についてとその論理
・シーア派とスンナ派の共存は可能か
・イスラーム世界の混乱をおさめ、さまざまな問題を根本から解決するための「カリフ制再興」の必要性・「アラブの春」がもたらしたもの
・湾岸戦争から始まった負の連鎖。9.11、アラブの春、イスラム国台頭まで。アメリカがしてきたこと。
・ムスリムが安心して生きることができる環境が実現されない限り、世界の中に居場所がないムスリムを引き寄せるイスラム国のような運動は無くならない、ということ。
・イスラームと、他の宗教との共存の可能性ついて。
・日本人がイスラームを学ぶ意味etc...
そういったさまざま問題に対する考察や、現実的で具体的な解決策がたくさん述べられている。
これまでどの本を読んでもニュースを聞いてもわからなかったり、納得できなかったことがここにこんなにわかりやすく書かれていただなんて。
目から鱗。なんだか感動して、目頭がじーんと熱くなってしまった。
著書の中で述べられている、
“人と文化、お金や物が国境や関税なしに自由に行き来することができる夢の世界”
不可能ではない。
生きているうちに、そんな世界を見て見たい。
心からそう思う。
今、中東の国々やそれ以外の国も含めたイスラーム世界は、大変混乱した状況にある。
世界中から流れてくる物騒なニュースや悲しい事件は、何かしらイスラムに絡んで報道されているものが多い。
シリアやイエメン、アフガニスタンなど、世界中で起きている紛争やテロ。ロヒンギャ問題も、ウイグル人弾圧も、チェチェンのことも・・・みんなイスラムが絡んでいる。
けれど誤解してはならないと思うのが、どれも根本まで辿って行けばその問題の原因の多くはイスラーム以外のところにある、ということ。
「過激派」と呼ばれる人たちの振る舞いも含めて、いまイスラーム世界で起きていることのほとんどは、じつはイスラームではないということです。いまこの地上にイスラームが実現されている国は一つもありません。私はイスラーム学を専門としており、みずからもムスリムですが、私も含めて、いまムスリムがやっていることはすべてイスラームに反しています。
今日のイスラーム諸国は国家という枠にとらわれ、政府をはじめアッラー以外の無数の権威やイデオロギーに従属させられています。
そしてイスラームの問題という表面的なものの裏側に、もっと大きな別の問題が隠れているということ。私たちがニュースで聞く「イスラーム」は、西洋の価値観を通して見た、イスラームを外側から見た一部分にすぎない場合が多いということを知っていなければならないと思う。
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先生は、この他にもイスラームに関する本をたくさん書かれている。
「イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉」「日本一わかりやすいイスラーム講座」といったイスラーム入門本から、「一神教と戦争」「イスラームの論理」「カリフ制再興」「イスラーム法とは何か」といったイスラームに深く踏み込んだ本まで。
この人の書いた本なら、なんでも読みたい。
そう思った。
それと同時に、先生以外にも、他のイスラム学者やジャーナリストが書いた本も読んでみたい。学者によって主張が異なるのは当たり前。
ひとつの意見だけではなく、批判的な側面から書かれたものも含めて、様々な角度からイスラームを考えたいし、そうすることでイスラームを多角的に深く理解して行ければ良いと思う。
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