2018-03-06

雪山という自然からの気づき。


働いている八方尾根スキー場の頂から
白馬三山、白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳を拝む。

この時期の八方で、
風もなくこんなにも空が晴れわたっているのは奇跡とも言えるくらい、
本当に珍しいことだった。





日本海の方からやってくる低気圧やらの影響で
一月なんて、週に一回青い空が見れるかどうか、
くらいの雲のたちこめぐあい。
毎日のように、雪がしんしんと降り続いていた。


灰色のどんよりとした、厚い雲ばかり毎日見ているものだから
気分も鬱々としてしまったり。


でも、その灰色の日々があったおかげで
この紺碧の空がより一層神々しく見えた気もするから
やっぱりあの日々はあってよかった、と思う。




極寒の時期、
氷点下10℃以下の快晴の早朝に、無風状態で湿度があることなど、
いくつもの気象条件が揃ったときだけに出現するという、
ダイヤモンドダストもこの日は光り輝いていたし、
なんというか、眩しいくらいに美しい日だった。








最近は、やっぱりスノーボードが楽しい。


長野に暮らすとなると、前のようには海に行けないし、
サーフィンからも遠ざかった生活になってしまう。
海とサーフィンがない生活は、
大切な人を失くしたような寂しさがあったけれど、
スノーボードを始めてみると、
なんだかサーフィンをしていたときに近いような爽やかな感覚が
久しぶりに蘇ってきた感じでとても幸せだった。
ボードを始めてからというもの、
日々生き生きとしているのが自分でもよくわかるし
世界が生まれ変わったんじゃないかってくらい鮮やかに見えるし
それはサーフィンを始めた頃の楽しくて楽しくて
仕方がなくって幸せだった日々と似ている。
雪の中を滑るのも、波に乗るのと共通するものを感じることができた。


滑ることを通して雪山という自然を感じる。
そして、自然の中で、気の合う仲間たちと遊ぶことって最高!
そうやって自然を感じることは、さまざまな気づきをくれる。


冬場だけではあるけれど、
打ち込める何か大切なものを、
また手に入れられたような気がして、それがとても嬉しい。







最近読んだ吉本ばななの本の中で、こんなことが書かれていた。


私たちは、食べるために生まれてきたのではなく、
もちろん金のためでもなく、
楽をするために生まれてきたのでもなく、
子孫を残すためでもなく、
長生きするためにでもなく……
自分の情熱を燃やすために、
向いていることをこの人生でやりつくすために生まれてきたのではないだろうか。
愛する人びとへの愛情を抱きながら、
たくさんのよき思い出をつくって、
それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?

全ては自分の中からはじまり、
幼いときから生涯を通じて続いてきたのだ。
そのヒントは自分の中にしかない。
自分はいちばんよく自分を知っている自分の友だちだ。
今はその感じがばらばらで、
みなとまどっているだけなのだ。
本能の声を聞いて、耳を澄ませて行けば、
必ず自分と自分がぴったりくるポイントがあると思う。
そしてそれが一致したとき、
個人はとても大きな力で、
日常を、周囲を照らすだろう。


私にとって、情熱を燃やせること・・・。


時間はかかったけど、ようやくいくつかはっきりと見えてきた。
これからはそういうことを、ゆっくりじっくりと咀嚼して
人生の愉しみを味わって行けたらいいな。
そして、それが誰かの何かになったら、もっと素晴らしいな・・・




2018年2月某日



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