2018-01-09

旅の終わりを決めたとき。


パキスタン、新疆ウイグル自治区、キルギス、タジキスタン、
そしてウズベキスタン。
ずっと夢見ていた中央アジアの旅も、いよいよ終盤にさしかかっていた。




この後はカザフスタンまで行き、
カザフスタンの西の果てのアクタウからアゼルバイジャンの首都バクーへ飛び、
そこからコーカサス地方を回ろうと考えていた。



ところが、これまでの旅を振り返り、いざ今の自分を見つめてみた時、
明らかに、「好奇心が磨耗している」ことを認めざるを得なかった。
どういうわけか、感受性が鈍っているのがよくわかる。



そうなったのは、ただ単に見慣れた中央アジアの雰囲気に面白みを感じなくなったのかもしれないし
思っていたよりも発展していた中央アジアの姿を見て
旅の醍醐味である非日常感を感じにくくなったからなのかもしれない。

もともと、私が行きたいと心から思える場所は
現代文明に汚染されず、人間味豊かに
ゆったりとしたリズムで生活が営まれている、そんな場所だった。

だから、ヨーロッパなどの欧米諸国や、
先進国と呼ばれるような国にはあまり興味が湧かない。
これ以上西へ進んでいっても、今の症状が良くなることはないような気がした。

綺麗な街並みや、建築物などにはもともと興味を示すタイプではない。
地球の風貌を感じさせる大自然の景観にはもちろん感動させられるのだけど、
一貫して目頭を熱くして浮かび上がってくるのは、
出会った人の懐かしい顔々であり、暖かくしてくれた人々の屈託のない笑顔ばかりだった。



旅慣れたことももちろんあるけれど、
結局、中央アジアを旅している間中
私の頭の中には、パキスタンの幻影がずっと残ったままだったのだ。
やっぱりどうしても、後ろ髪を引かれてならない。
おそらくそれが、この旅の心の停滞を起こしている、一番の大元のように思えた。



イスラムの教えに則って、生きる人たち。
信仰心厚く、精悍な顔つきをした人の多い国。
旅人を暖かく迎えてくれる、おもてなしの国。
人間味にあふれた、彼らのいる場所。



なんとなく、私が旅のテーマにしたいのは、
パキスタン、もしくはイスラム色のもっと強い地域なのだろうな
と感覚的にそう感じるようになっていた。



世界一周をして、世界中のいろんな景色をみて回る旅にももちろん憧れるけれど
私に合うのはきっと、もっと狭く深く掘り下げる旅。
自分が心から気に入った国や地域を
ゆっくりじっくり、自分のペースで。
そんな旅のスタイルが、より自分らしいのかもしれないと思うようになった。



パキスタンに戻りたい。
そんな気持ちが日に日に膨らんでいった。



心の状態は、よくも悪くも旅に反映される。
旅が停滞を初めてからは、なんだかうまくいかないこと続きだった。
誰のせいでもなく、その国のせいでもないのだけれど
とことん付いてないことばかり起こった。
そんなとき、これらの不運が自分の旅に何かを示唆しているように思えてきて
さらに何かの暗示的に受け取ろうとしてしまうのだ。
ただ、悪いことだって延々とは続かないし、
ただたまたま不運が重なっただけであるのだけれども。
正直、胃の調子も悪く、体調も万全ではなかった。
これ以上、このままの状態で旅を続けることは、懸命ではないかもしれない。
そもそもパキスタンへ行くためには
一度日本へ戻りビザを取り直さなければならないし
(パキスタンビザは、日本人は第三国での取得不可)
一旦、辞めどきかもしれない、と。



それでも、もうバクー行きのチケットは取っていた。
アゼルバイジャンまでは行き、
アゼルを観光したらそのまま日本へ帰ろう。





そう、カザフスタンへ向かう寝台列車の中で、一人決意を固めたのだった。





Y.
2017.10.10
ウルゲンチからアクタウへ向かう、寝台列車の車内にて。



懐かしい、パキスタンはカラチの家族。






0 件のコメント:

コメントを投稿