タジキスタンのホーログから首都ドゥシャンベまでは
ランドクルーザーで15時間と、これまた長い道のりだった。
中国、キルギスとしばらく好調だった胃袋のぐあいも
ホーログ滞在中からうって変わり、また食後のもたれ感や吐き気が顕著になってきた。
それでも、ホーログにはもう十分過ぎるほど居たように思うし
少し先を急ぎたい気持ちもあった。
酔い止めに吐き気止め、胃薬を飲んで、そうして車に乗り込んだのだった。
車の乗り心地は、とても快適と言えるものではなかった。
もちろんこんな田舎のローカルシェアタクシーに快適さなどもとより求めてはいないけれど
ぎゅうぎゅう詰めで身動きの取れない車内に何時間も揺られる、というのはさすがに随分と応える。
おそらく7人乗りくらいのランドクルーザーに、子どもも含めて11人が乗っていた。
この日は朝からどうも体がだるかった。
胃の不調だけでなく、風邪の引き始めのような気だるさがあった。
体調を気遣っていただき、左側の窓側席に座らせてもらえたのは有り難かった。
ホーログからドゥシャンベへ向かう道もまた、
タジキスタンとアフガニスタンの境界である山合いを走るドライブだったために
ワハーン同様、川を隔てて対岸にアフガニスタンの人々の暮らしを垣間見ることができた。
少しの気持ち悪さと、だるさでぼーっとした頭で考え事をしながら
私は窓にもたれかかってアフガニスタン側の景色をずっと眺めていた。
家畜を引き連れて歩く子どもたち。
木々がある場所にぽこっぽこっと現れる小さな小さな村々。
ガタガタの道を移動する、年季の入っていそうな車。
向こう側に見える茶色い山も、
タジキスタン側と同じ山々の景色であることに変わりはないけれど
大きく異なっていたのは、道路だった。
タジキスタン側の整備された道路と違い、
アフガニスタン側は道路というよりかは、車ひとつ分やっと通れるくらいの舗装されて居ない「オフロード」
それでも、その道はずっとずっと先まで続いていた。
国境沿いの道路を離れるまでずっと、私は向こうの景色を眺めていた。
あの道の先には、どんな世界が待っているのだろう。
まだ見ぬその先に、思いを馳せて。
いつか、見ることができるといい。
自分の心のルーツがそこにあるような、そんな気がしてならない、その道の先・・。
***
「旅の窓」のこと。
一つの場所に長居でもしない限り、
旅の多くを占める「移動時間」
ローカル電車やバスに揺られて窓の外の景色を眺め
ひたすら空想に耽ったり、考え事をしている時間は嫌いじゃない。
私は本を読んだりすると酔ってしまうので、
考え事をするか、眠るかの選択肢しかない。
けれどむしろ、何もすることがないからこそ、
何にも邪魔されることなく、自分自身ととことん向き合えるこの移動時間は好きなほうだったりする。
最近読んだ、沢木耕太郎の「旅の窓」の冒頭で、
筆者はこんなことを書いている。
旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向こうに、
不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。
そのとき、私たちは「旅の窓」に出会うことになるのだ。
その風景の向こうに自分の心の奥をのぞかせてくれる「旅の窓」に・・・。
私が自分の旅の目的に関してなんとなく感じていたけれど
うまく言葉にできなかったことを、
この文章は「旅の窓」という言葉でうまいこと表現してくれているな、と思った。
「なぜ旅をするの?」
「旅から学んだことは何?」
と、よく聞かれるのだけど
いまいち、うまくその問いに答えられない私。
沢木耕太郎さんのこの一節を読んで、
そうか、これがその答えの一つであるかもしれない、と感じた。
うまく言えないけど、多分私は、
旅を通して、自分の内なる存在の声が聞きたかったんだと思う。
いつも、何かに違和感を感じてしまう。
自分はなんのために生まれてきたんだろう。
この地球で、この人生で、為すべきことはなんだろう。
私だからできる表現方法って、何なのだろう。
それが、どう世の中のためになるのだろう。
自分の在るべき場所はどこなんだろう。
ずっと、未だに、何かを探し続けている。
その答えは、もしかしたら身近なところにあるのかもしれない。
ただ気づいていないだけで、もしくは逃げているだけで、
必ずしも日本の外に出る必要はないのかもしれない。
でも、環境を変えてみること、違った角度から物事を考えてみることは
何れにしても大切だと思うのだ。
それが手っ取り早できるのが、私にとってはたまたま異文化の国を旅することだった。
実際に、旅は私にたくさんの衝撃や発見をくれた。
小さい小さい世界で生きていた私に、世界はこれだけ大きいんだって教えてくれた。
世界にはたくさんの人がいて、文化があって、それぞれの価値観がある。
他人のさじで測ることのできないそれぞれの幸せの形がある。
そうしていろんなことを知るごとに、学びや気づきがあるたびに、
たくさん背負っていた荷物が減りどんどん身軽になって行き、
そしてどんどん古い皮が剥がされて、素っ裸になってゆく。
ほんとうに大切にしたいこと、自分にとって大事なものが
少しずつあらわになってきている手応えを感じる。
沢木耕太郎さんの言葉を借りて言うとすれば、
“「旅の窓」を通して、私は自分自身の「心の窓」を覗きみることができる。”
あてのない旅のように見えて、実は、
心の深淵にたどり着くための旅をしているのだと思う。
そしてそれは、まだ終えることができていない。
(もちろん旅をしたい理由は、他にもたくさんある。)
*
ドゥシャンベに到着したのは夜11時頃だった。
予約していた宿に向かい、力つきるようにベッドに横たわり眠りについた。
ドゥシャンベには2泊したけれど
体調が悪かったこともありそのほとんどの時間を宿のベッドの上で過ごした。
薬を買いに行ったり、食べ物を買いに行く時にいくらか外出はしたけれど、
ドゥシャンベには、特別目だった見所というものはないようだった。
首都らしく整然とビルなどの建物が無表情に立ち並んでいるだけの、
私にとっては特に面白みもない街に思えた。
しっかり体を休めたあとは、早々にウズベキスタンに向かうことにした。
Y.
2017.10.2
ドゥシャンベ タジキスタン
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